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無慈悲!無慈悲!

運命を求めているの

求めてるんですよ

 

・生活をしていると色々な感情が芽生えるけど、扱いが困るような大きい感情を持つことは少なくなる。キツイし、取り扱いが大変だし。
 そして大きな感情を持つには大きな言葉が必要になる。それこそ「運命」みたいな言葉。
 割と長い人生の中で、本当に稀に「これは運命なんだな」って思う時がある。
 皆さんも体験したことがあると思うんですけど、あの時エモーショナルだよね。

 でも実際はそうならない。運命なんてそうそう出会えない。
 なので「運命にしたい!」って思ってしまう時がある。
 そして「運命にしたい」って思う時は2パターンある。

 

・1つ目は自分の過去を肯定したいパターンだ。
 「あの時はああなる運命だったんだ」と思って、自らの過去を納得するようにするパターン。だいたい心が不健康な印象がある。
 
 もう1つは自分の未来を信じたいパターンだ。
 「この選択は私の未来を豊かにしてくれる」と信じたい時とか。
 
・そして両方とも「自分の行動を信じる」ということに繋がると思う。
 加えてそういった際は、えてして自分の感情を過大解釈する。
 「私は本当に運命だった!!!」と、テンションを上げて話す。
 そして大概、運命にならない。

 私達はおそらく、自らの行動を疑わないことが幸せに必須条件となりうる。
 自分の行動に疑いを持ってしまったとしたら最後、もうその疑いが心にしこりのように留まることになる。

 疑いを持ったまま、生活せざるを得なくなる。それは厳しい。

 

・「あの時はあれでよかったのだ」と思えたら、もうそれだけで人生は成功しているように思う。
 何かを成すことはもちろん大事だったりはするが、それ以上に自己肯定感、言い換えれば自分の行動を「まぁいいっしょ」と思えることが人生では大事だったりする。

 

・運命は大きな言葉だが、大きな感情を伴うものではなかったりする。
 運命は、静かに、だが確実に、私たちの心に残るものだったりする。
 私達は、静かだが確実なものを求めている。

 

 (個人的な話をするが、私は大きく感情を動かすものを「運命」と呼べない質なのだな、と感じる。
  しかし、人の意思を介在させずに済む「それ」を運命と呼ぶのは、私には非常にしっくりくる。)

 

・あとずっと私はパルマフィオキーナが好きです。パルマフィオキーナは運命に近かった。
 だって手からビーム出したいじゃん。私は出したい。