そりゃ目に映るすべてのことはメッセージだろうけど
だろうけど
・本当に個人的な話で恐縮なのだが、私はちょっとだけ視力が悪い。裸眼だと車の運転が出来ないくらい。
その為ずっと眼鏡をつけていたのだが、半年前くらいから視力がめっちゃ必要な時以外外すようにした。
理由は「眼鏡がない状態で遠い場所を見れば視力が治る!」と聞いた為、自身で実験しようと思ったからである。
あれから半年。全然視力がよくなってる気はしないのだけれど、他によかったことがある。
視界からの情報が抑えられることだ。
例を出すと、鏡を見ても不快感を覚えないようになる。
私は肌が綺麗ではない。中学の時、顔のニキビが出来たのにケアせず、あまつさえ手でいじってしまったからだ。
なので私は自分の顔を鏡で見たくない。中学の頃の私をハトムギ化粧水とニベアで殴りたくなる。
そういったこともあり眼鏡をつけて自分の顔を見るとマジでテンションが下がるのだけど、裸眼で見るとあんまり気にならない程度になる。
(こないだ呪術廻戦読んでたら「毛穴が開いてんぞ」って相手を煽るシーンがあったが、
そもそも毛穴を気にする時点で顔は綺麗だと思ってる。)
・情報の何%が視覚に頼ってるんだっけ、確か1番多かったよね。
眼鏡を外して、いかに視界から得ている情報が多いかを思い知った。
同時に、視界に入れなくていい情報を入れているかに気づいた。
朝道端で吐瀉物に気づくこともなく、
話してる人の鼻毛を見つけてしまい声をかけようと迷うこともなく、
顔を見た人ほぼ全員の肌がめちゃめちゃ綺麗に見える。
よく見えていいこともあるけど、よく見えなくていいこともあったりする。
見なくちゃいけないこともあるけど、見なくていいこともあったりする。
・見なくていいものを見てる人は、えてして人に優しくなかったりする。
やっぱり優しさに包まれたい...けど包まれた分、誰かに負担がかかったりする。
私が見なかった吐瀉物は、街ゆく人全員が見なかったら街が汚くなる、みたいなこともあるかもしれん。
誰かがした粗相は、当人を含む誰かが尻拭いする必要があったりする。
尻拭いを誰かにしてもらったら、今度は誰かの尻を拭うのが恩返しだったりする。
・最近友達が「頼って頼られて生きていこう」って言ってた。
非常に明確でいい言葉だと思った。優しさに包まれた気がした。