please_hitme

無慈悲!無慈悲!

嫌いになれど見捨てない

似て非なるものだと認識している。

 

・人と接すると、色々なことが起こる。「こう受け取ってほしい」と思って発言したことが、違う受け取り方をされる、とか「あっっ別にいいんですけど、そうやって解釈するんですね!」とか。行き違い。
 その中で「あっこの人ちょっと苦手かも...」とか思う。人に多くを求めちゃう時、あるよね。
 でも、それと見捨てるは話がまた違う、とも思ってる。見捨てるって言葉は、多分強い言葉だと思う。だから、テンションとしてはその言葉が適切ではないように思えるけれど、事実としては見捨てていることがある。同義語で、見限った、とかそういう言い方でも良いかもしれない。
(言葉を使う時のテンションと、その言葉の意味が食い違って違和感になる時ってありますよね。「貴様」とか「期待してない」とか)

 

・なんかこう「今私は、この人を見捨てた」って感じる時があると思うんですよ。相互理解をしようと思わなくなった時とか、この人に対して諦めがついた時とか。もっと言うと、自分の行動は相手を嫌いになるためにしていて、相手が気づいてないことを知っていて、相手が気づいてくれることを望んでるフリをして、相手が気づかないことを分かっていて、自分は(嫌われるとか、批判されるとかの)リスクを背負ってまで伝える気はなくて、自分が描いていた通りに相手が気づかなかったことに安心して、とか。諸々。そういう時には、「私は、この人のことを見捨てたんだ」と思う。
 それが良いことか悪いことかは知らない。自分と合わない人を認識して、縁を切る為の一手段かもしれないし、人を自分の中で見捨てたくらいで自分の尊厳が変わるわけでもあるまい。相手の尊厳を貶めている訳でもない。私もしたことがある。ただ事実として、そういう自分はあまり好きになれない。

 

・人を嫌いになるのは当然だし、合う合わないはもちろんある。
 ただどれだけ私は人を見捨てずにいられるだろう。それ以上にどれだけ人から見捨てられずにいれるだろう。
 見捨てる記憶は、なるべく少なくあってほしい。見捨てられる記憶なんて、怖い怖い。嫌いになれど見捨てないでくれ!