please_hitme

「ピンと来てくれ」の意です

忘れちゃう

特に小説。


・本を読む人が好きだけれど、苦手な部分がある。言い換えると、本を読むのが好きな人とあんまり接したくないのだ。なぜなら、本の内容を上手く話せないからだ。同時に、本の内容をよく忘れるからだ。
 本はちょくちょく読むのだけれど、大体内容を忘れる。感動する小説とかだと「うっわ! こんな良い小説あるんですね!」とか思っても、数日後には忘れてる。泣いた記憶はあるのに、泣いた場面を覚えていない、ことがしょっちゅうある。
 だから、「最近何読んだのー?」って質問をされると困る。マジで困る。本当に困る。テンパる。
 本を読むのは暇つぶしだし、別に忘れたっていいのだけれど、それでも少し寂しい。読んだ事実が無くなってしまうような気がする。
 だから、本好きな人とあんまり話せない。アウトプットが上手く出来ない。本の紹介する時に「えっと...面白かったです!」くらいしか言えない。同時に内容を覚えていない。その人が「このシーンよかったよね!」とか言っても、「えっそんなシーンありました...?」とかなっちゃう。なんか覚えられない。まじで。


・ただ先日、本を読む人と話す機会があって「本読んでも覚えられない」という相談をした。「あー、それある」と言ってくれた。俺よりもめっちゃ本を読む人だったから、意外だった。
 忘れても寂しいという感情をあまり抱かないらしい。凄いな。


・小学校の時とか「文字の本は漫画と違って想像力がつくからいいと思います!」的なこと聞いたけど、あれ「頭の中でビジュアルを思い描きながら本を読む」という習慣を身につけるって意味? そうだとしたら、本の読み方って教わりたかったなーって思う。登場人物がどんな人か、場所はどんな感じか、とか想像して読んだ方がいいのだろうな、覚えやすくなるし。でもめんどくさいな。逆に大多数そうやって読んでるの? 本読み始めた時からそうやって読んでたの? 天才じゃない?
 昔先輩に「読んだ本はメモしておくといいよ、忘れちゃうから」と言われた。言われたとて、自分が読んだ本を記録したことはない。kindle履歴と部屋にある本が自分の記録をつけてくれると思って、いつでも読み返せるという事実に甘えている。あんまり読み返さないんだけど。メモって大事かも。


・馬鹿は休み休み言うものだとしたら、本は忘れ忘れ読みたくない。
 でも、忘れちゃうことが多い。忘れないようにするのはめんどくさい。
 忘れたとしても、事実は刻まれてほしい。
 否、忘れたいこともあるな。難しいな。

思ってたんと違う

「あ」展には一回行きました。


・何か物事を形にする際にはそれ相応の実力が必要である。言い方を変えると、自分の頭の中のイメージを外部に出すには「表現力」が必要であったり、自分の想像してた通りに物事を進めるには「行動力」が必要だったりする。同時に「運」の要素も超ある。頭の中にある状態では「おーなんかいい感じ」と思っていても、実際にはイメージ通りに出来ない時が多い。そしてその時にはこう思う。「思ってたんと違う!」

 

・「表現力」とか「行動力」というのはアウトプットの質と数に依り、正確性が増す。でも、自分が形にしたかったり、想像してた通りに物事を進めるには、向き不向きであったり、イレギュラーを倒さなければならない。たやすく進められない要素が多い。もっと向いているもの、言い換えれば自分が合うものだったり、イレギュラーが無いもの、言い換えれば想像に収まるものだったら、どれだけスムースに進められるのだろうか。自分の想像通りに進むのはなんか賛否ありそうだけど、まぁスムースに行くに越したことはないよな。自分以外の人が関わるものだったら、迷惑もかけるだろうし。

 

・「自分が向いていることは職業にすべきで、自分が好きなものは趣味にすべき」という考え方を以前聞いた。向いていることと、好きなことが一致してたらさぞ楽しい人生なのだろう。同時に、職業と趣味みたいに、色んな事を分けられたら楽であろう。一緒にしなくちゃいけないものが、今の価値観の中だと多々ある。

 (ただ、向いているものを好きになる事もあるから、結構面白かったりする。諸行は無常。)
 またある人は「自分の好きなものこそ職業にすべき」と言っていた。向いてないけれど好きなものは、アウトプットするから確実に実力は上がってくだろうけれど、その上がり幅が割いた時間の割に少なかったりする。その中で、早く結果を出さなければいけない状況だと、焦ったりする。結果余裕がなくなり、八方は塞がり、人は死を選ぼうとし、それ故に生を実感する。だが、それに依る生の実感は、非常に疲れる。精神を病み、肉体へ表出する。端的に言うと、情緒不安定は健康に悪い。

 

 最近苦しそうな人がいる。

 人としての尊厳が傷つかない程度に、健康的に悩んでほしい。

 


・人間の万事など、塞翁が馬である。あるであろうが、それは未来から見た話である。
 想像と違った時くらいは「思ってたんと違う!」と声を高らかにしていいたい。

頭でっかち尻つぼみ

足まで行けや

 

・先日複数人で話してた時のこと。結婚した人もいたので、流れで「なんで今の人と結婚したのか」みたいな話題を話した。ある人が「え? 直感じゃない?」って言ってた。え? 凄くない?

 なんか「多分、人生でも重要なウェイトを占めるものなのに、あんまり考えないんだなー」って思うと羨ましかった。だって、色々考えちゃうじゃん。加えて、結婚するんでしょ。一緒に生活するんでしょ、そういう契約するんでしょ。やばくない? 結婚する人は直感で決めた、ってよく聞くセリフではあるけども。

 「今から何食べようかな」でもいちいち考えるやつにとっては、その性格がめっちゃ羨ましい。あなたも多分、考えてるでしょう。それで結局、考えてる内に何も食べないとか選択するでしょ?(知らんが)

 

・人の考えていることを覗いてみたい。他の人の目で世界に接してみたい。他人に考え過ぎ、とか言われると「ではあなたは何を考えているのですか?!」って思っちゃう。言葉に出来なかった気持ちの機微とか、言葉にしても伝わらなかった切なさとか、感情の動きとか、体験してみたい。もしくは、心が動かない方向、でもいい。そしたら、きっとあなたが分かる気がする。でも出来ない。人は孤独!

 

・考えるって面倒くさいときがある。だからこそ、「変なところに悩みたくない。適切な事柄で考えたいし、変な脱線に気を取られたくない。」とかは考えるだろうけど、果たして"適切な"っていうのはどこで決まるのか。人が考える部分、というか、何に価値を感じるか、というか。「自分のことを好きになるか」か? それとも「人間関係が円滑に進む」か? はたまた「お金を生み出す」か? 価値観が多様だと面白いけどめんどくさいな!

 最近金持ちが出てくるドラマを見ている。「えっそんなに金持ってるんですか、社会人になってお金に余裕出てきたなーって思ってたけどレベル段違いのやついるもんだねぇ...」とか考えながら見てる。その人達はちゃんとお金を使い、高価なものを買う。「俺がこの人だったら、中古のプレベリッケンバッカー位すぐ買うんだろうなー」って思う。

  今までどういう選択をしてきたら、そのスケールのことが出来るようになったのか。まぁ、ついてくるもんなんだろうけど。もっと言えば、ドラマなんだけど。

 

・「人生の選択には正解がない」「行動で正解に変える」的なことをこないだ聞いた。選択は、リスクとか人の目とか考えると迷うことが多いよな。本当は悩みとかじゃなくて、行動をしてくべきなのはわかっているのだろうが、いちいち考えてしまうのは人間故か。どうしてこんなに脳を大きく作ってしまったのだよ、神様。いや、先祖。

 

・あたまが大きいとしても、上手くバランスをとっていきたい。

 あわよくば子孫は、心でっかちであってほしい。どうすればいいかな。

 (由来は知らない)

「元気?」

簡単な言葉には、感情がとても混ざる。

 

・年末年始、久しぶりに(半年~数年振り、とか)会った人が多かった。こないだ「喜びの熱量が少なくなった」って書いたけど、久しぶりに会いたかった知人に会ったとき、喜びの熱量めっちゃ多かった。相手の迷惑も考えず超喜んだりした。

 大体「元気?」って話しかけた気がする。その言葉の中身を文章にすると、「久しぶりに会って、あなたが今までどんな人と会って、今どんな生活をしてる、とか、最近の楽しいことや怒ったことや、何を考えてるか、とか、会わない内にどんな変化があったか、とか、今どんな人が周りにいる、とか、その人が今のあなたに対してどんな影響を与えてるかとか、気になりますね。下らない話でもばっちこいですよ。私の記憶の中で止まってるあなたを更新させてください。ただこれ言っちゃうと面倒くさいですかね。なんだかんだ、あなたが元気なのか番気になります」って感じ。...めんどくさいな!

 23歳になった私がこんな熱量(顔認識したときにジャンプする、ハイタッチを求める、など。女性だったら可愛いだろうけど...)で来られたら、相手も引くよな。予想はつくんだけど、そこまで考えがいかずに出てしまうんですよ。あなたに会えて話せて嬉しいんですよ。すみませんね。多分その内落ち着きます。

 

・久しぶりに話す人には、色々と発見や嬉しさ、変化がある。

 昔私が悩みを話したり、駄目だった所を見せた人が、私に自分の悩みとかを話してくれたりする。

 相手と話して、その人が昔に比べて変わってないところと、変わったところを更新する。

 相手が変わった所為か、私が変わった所為か、人との接し方が変わっていたりする。それはそれで乙なものだったり、しなかったりする。

 昔あんまり話せなかったり関わってなかった人が、久しぶりに会うと話せたりする。

 人との関わりは分からないものだな、と思う。

 

・人と会話をしていると、相手との熱量の差が産まれることがある。プラスだったり、マイナスだったりする。

 あと、双方同じくらい熱量が上がるときもあれば下がるときもある。

 

 時々、熱量が相手を引かせてしまったり、考えてる事が違って上手く話せなかったりする。

 自分が関わりたい、話したいタイミングが、相手と違ったりする。

 はたまた、思いがけない人が、自分との熱量を保ったまま話してくれたりする。

 

 得てして、関係を築こうとするより、なんとなく接してた方が、上手く話せたりする。

 人との関わり方って、こんなに難しかったっけ、って思う。

 

・それでも知人に会うのは発見と嬉しさに溢れていて楽しい。

 そういう気持ちを教えてくれる知人がそこそこの数、周りにいた。

 皆適当に、自己肯定感をある程度持って、元気でいてほしい。

 面倒くさい気持ちを込めた「元気?」には「元気!」って返されたら嬉しい。

2018年まとめ

適当にまとめる。

 

ドラマ

そんな見てないけど、獣になれない私達はすごくよかった。

最終話見て、描いてくれて嬉しかったこと2つ。

・人間関係は流動的(仲悪い人が仲良くなることもある)っていうのを描いてくれた

・社長が「憎まれるべき人」ではなく「コミュニケーションが上手く取れない人」として描かれてた

 勧善懲悪の展開ではなく、新垣結衣に依って変わりそうな人として描かれていた

まだアンナチュラル見てない。年末に再放送するの知らなかった...hulu配信しないかなー。

 

アニメ

そんな見てないけど、ダブルデッカーダグアンドキリルは凄く面白かった。

特に好きだった点、2つ。

・全体的に肩の力抜いて見れる。

・伏線がめっちゃある。

まだ続くようで楽しみ。

 

■曲

そこそこ聞いた。

一個だけ決めるとしたら、YUKIの穴。めっちゃいい曲だ。

 

ライブ

そこそこ見た。東京だと見るライブ全然困らないな。

個人的には関取花を見れて嬉しかった。

面白かったし歌上手いし、何よりいい曲だった。メジャーデビューおめでとうございます。

 

印象的だったライブは土岐麻子。ずっと見ていたい。

BOYフロム世田谷とラブソングを生で聞きたい....めっちゃPVの絵可愛い...


土岐麻子 / 「BOYフロム世田谷」PV

 

映画

そこそこ見た。

シュガーラッシュオンラインがすごく良かった。

ただ、ディズニーがめっちゃ好きな人があれ見た時の感想が気になる。

映画見たディズニーファンの皆さん、感想教えてください。

 

来年はバンド動かしたい。

 

以上。皆さんはどうでしたか。

また今度色々聞かせてください。良いお年を。

kid

上手いこと言ったもんだぜ。

 

・高校時代に飛行機で沖縄に行ったときのこと、「うぇーい!」って感じの男子が、無事に沖縄に着陸したときに拍手をした。無事に着陸した事実に向けてか、パイロットに向けてか、これからの旅行にテンションが上がってのものか、よく分からない拍手だった。その拍手は学年の男女を巻き込み、学校とは関係ない人にも拍手を促した。

 修学旅行が終わり帰宅後、拍手が起こったことに少し驚いたので、帰ってその出来事を父に話すと、「それは普通だよ。無事着いたんだもの。」と言った。父のトーンが「普通でしょ?」といった雰囲気で、それも印象的だった。(私がしたかは覚えてないが、多分した。テンション上がってたし。いや、してないかも。ちょっと斜に構えてたし。)

 

・先日偶然が重なり博多に行った。(博多での出来事は、書くには面倒だから割愛。)羽田空港から福岡空港までを移動するのに、久しぶりに飛行機に乗った。先述の出来事を思い出しつつ、飛行機に乗った。平日だった。周りの人がサラリーマンばかりだった。ビジネス書を読んでる人、パソコンで設計図を書いている人、寝ている人等、色んな人がいた。

 ただ、着陸した時、拍手をする人はいなかった。俺もだ。

 

・いつからか、喜びを昔に比べて人前で出さなくなった。というより、喜びの瞬間的な熱量が少なくなった。「うわー! 着いた!」みたいな瞬間的な拍手が出来なくなった。

 加えて前より、上手く喜べなくなった。空気読むと、素直に喜べないときあるじゃん。あと、好きなことを好きっていうのって、めんどくさい時あるよね。

 

・喜びの熱量と、怒りの熱量、子供の頃は同じ位だったっけな、覚えてないけど多分そうな気がする。あの頃より肉体的には成長した。経験も積んだ。喜びの後にはそれが消えてしまう悲しさや喪失感を覚えた。喜びよりも怒りの感情の方が自身を揺さぶるようになってしまった。ディズニーランドに行ったときの喜びよりも、一緒に行った相手と喧嘩した時の感情の方が、勝つ場合が多いよね、多分。

 ただ、同時に怒りの熱量は上手くコントロールしようと思っちゃうな。怒るのが面倒くさくなってきたな。怒って人と衝突して、変えようとするより、自分が離れるか自分が変わるかになっちゃったな。それが良いことか悪いことかは知らない。

 最近、人間良いところも悪いところも、一長一短だな、と気づいた。自分が自分のこと好きならそれでいいんだな、って思うようになった。あと、人とのコミュニケーションは人同士が合うか合わないかなんだな、ってことにやっと気づいた。

 

・色々考えると、喜怒哀楽含めて感情が揺さぶられてた方が人生は退屈しないけれど、影響力も大きい。上手く付き合っていきたいものだな。喜ぶ人は時々めんどくさいじゃん。怒る人は嫌だけど、その人のことを知れる気がするし、なんか信用にも繋がるじゃん。

 ただ、怒りっていう人の自尊心に害を与えるものが信用に通じるなんて、皮肉かもな。

 感情は苦手である。自分のも、相手のも。めんどくさいし、考えちゃう。

 でも、めんどくさいことが魅力になるところってあるよね。途中で耐えられなくなることも多いけど。

 ちょっとめんどくさい子供って、可愛いときあるじゃん。「うぇーい」みたいに。

 

 P.S.あんまり関係ないんですけど、帰りの飛行機の搭乗待機が苦手。なんかやり残したことがある気がしちゃう。

父からラインが来た

 運動不足を解消しようと運動したらアキレス腱を切った、父の話。

 競馬が好きな、父の話。

 

・先日家族ラインに父から「有馬記念の予想です☻♪♪」というメッセージが送られてきた。「いやポップだな、齢58歳。」と思って読んだ。内容はメッセージの通り、父が予想した有馬記念の着順だった。「まぁ、乗ってみるか。今日にでも買いに行こう」と考えている。

 

・父は私が物心ついた時から、競馬をやっている。昔、ギャンブルにお金をつぎ込む人が多いことを知った私は父に「お金大丈夫?」って聞いた。それに対しては「お小遣いの範疇だからね」と言っていた。子供二人を大学に行かせたり、私にギターを買ってくれたり、「生活が危うい」とは感じたことが無いので、その言葉を信じている。一口100円で賭けてるし。

 私もたまにやる。ちょっと楽しい。

 

・私には「親父、すごいな」と思うことがある。父と一緒に競馬をやると「この馬が勝つ」と言い切るのである。「そう思う」とか「多分」とかで濁さずに、「優勝する」と言い切るのである。今回も「この馬が優勝する」と言い切ったラインが来た。

 これは私が絶対に発言出来ない内容である。本当にすごいと思う。「え? なんでそう言えるの? 未来だよ? 確実なことなんてないよ? 加えて、ギャンブルだよ? その予想外れたら恥ずかしいよ? あと、確率めっちゃ低いよ?? 本当に大丈夫??」と思ってしまう。加えて、未来への期待は、それが外れたときに「あぁ、自分って惨めだなぁ」になる。あと、傷ついてしまう。傷ついたら、埋めたくなる。普段の自分とは違うことをする。余裕が無くなる。そんな自分が、面倒くさいし、周りが自分を「余裕がない人だ」と認識する。

 

・自分の予想を信じ「この馬が勝つ」と自信を持つ。自分が予想して、勝ったら「うへへ」と言う。

 勝っても総額がマイナスだったら「大してつかない」と冷静に判断する。

 負けたら「しょうがないか」という免罪符を使わず、全力で悔しがる。

 (俺がそんな父に対して「まぁそんなもんだよねぇ」と言ったことがある。無粋だな、と感じた。)

 ゴール前で「あーなんでそこで来るんだよー!」と声を出す。

 58歳の父が、周りの目を気にせず、常に真剣に取り組んでいる。

 

 親父が活き活きとしていることが、羨ましい。

 

・二、三度、父と一緒にゴール前をひた走る馬に向かって声を荒げたことがある。

 直後に恥ずかしくなるのだが、声を出した瞬間は馬しか見てなかった。

 父は「あの体験をいつもしているのか」と思う。

 

 私は、父を羨ましい、と思う。

 

・対照的に、羨ましいという感情を一切持ち併せず「絶対にいつか殴ってやる」という感情を私が持っている相手がいる。

 すごいとは思っているが、絶対に殴ってやりたいと思っている相手がいる。

 その話は、いずれ書く。兄よ、楽しみにしておけ!