その話聞いてないぜ

「聞いてない! 聞いてないよ!」ってなるよね。

 

・誰かに質問をしていて「あれ...これ私の投げかけた質問と違う...?」という時がある。あるよね。ない?
 加えて、自分もそういうことをしてしまったりする時、あるよね。ない?

 例えば、人が投げた言葉の裏を考えてしまう人、もしくは、「自分の行動を言い訳したい&こう見られたい」という欲望が強い人は、相手に投げかけられた質問から曲解し、「自分を傷つける為に相手はこの質問をしたんだ」と思ったり、過去の自分の行動を弁解しようとしたり、自分の考えている思考を相手に知ってほしいが故に質問とは違うことを答えてしまう、みたいなことがあったりする。
 加えて、そういう時は大概、「私今あなたの質問を曲解しようとしてます」って気づかない場合が多い。

 

・「聞かれたことに聞かれたことだけ返す」、同時に「相手に聞いたことだけ回答してもらうように質問する」というのがいかに難しいか、実感する時がある。
 自分の考えていることを正確に受け取って欲しい、と思うのは至極当たり前のことなのだろう。且つ、自分の考えを相手に共有出来る機会、最近考えたことを相手に話せる機会、「あっそれ最近考えてた!」って会話の最中に思うことはそうそう無い。だったらそうなっちゃうのは当然かもな、と思ったりする。
 人は見たいように見るものだし、受け取りたいように受け取るものだったりする。投げかけられた質問を、自分のフィルターに通して、自分の思考をバイパスして通した結果、相手の求めていたものとは全然別なものになったりする。それを相手が面白がってくれればいいけど、大抵の場合相手を戸惑わせてしまう場合が多い。言い方を変えれば、面倒くさいとか、会話がつながらないとか、面白くない、とかになっちゃう。きっつー。

 

・しかし、稀に「えっ?! なんであなた聞かれたことにしか答えないの?!」と思う時がある。
 思考はめちゃめちゃに面白いのに、自分の考えを相手に伝えたいという欲が無い人。
 そういうところが魅力足り得るのだろうけど。逆にいえば、思考を出し続けたらその人の面白さは枯渇してしまうのだろうけど。
 否、枯渇しきっちゃう、と思いたいだけかもしれない。

 

・誰かから投げられた質問に回答しようとして、自分の話したかったことを話してしまう時、なくしたいよねー。やられたら「あー。始まった!」って思う。せめて「それ聞いて最近考えたこと思い出したんだけど」とかいうワンクッションが欲しい。「私は今あなたの質問に対して答えませんよ」ってことを明確に記してほしい。

 

・この人会話上手いなーって思う人、大体普通の会話してる。大抵積み重ねた人生だけで面白いものだよな。
 出来事として、思考としてそこまで面白くないことを、普通に話すって、それだけで結構面白いんだな。
 って最近思った。文章を書く場所は大事だったりするな。って最近思った。

言葉はおそらく呪いたりうる

経験ある人いっぱいいるのでは

 

・最近思った言葉は「ナルシスト」とか。発言側は「自分のことを好きになる」ってプラスの意味で使っても、言われて傷つく人いるのではないでしょうか。自分のことを好きになるというのは、自分の人生を生きる上でこの上無い幸せと考えてもいいことだったりするのに。

 原因は多々考えうる。例えば昔傷つけられた言葉、とか。悪意をもってその言葉を使われて傷つけられた過去があったりすると、言われた時に現在の自分が過去の自分と重なり、体と精神は拒否反応を起こしたりする。
 他にも言葉を受け取った結果、自分のことを好きになれない部分に意識的になってしまったり。受け取った側がその言葉にどのような裏があるのかを考えてしまったり。変わったはずの過去に言われていた言葉と、同じことを現在の自分にも言われてしまうと、自分で傷ついてしまったりするよな。悲しいことだけれども。大変じゃ。

 

・呪いみたいにつきまとう言葉がたくさんあったりする。自分で考え付いたものもそうだし、他人から言われた言葉もそうだったりする。
 言葉が呪いにならない人はおそらく人として足りてる人だろうと思ったりする。ちょっと付け足すと、他人に影響されない人。

 他人に影響される人は自分の好きな人が周りにいた場合は良い。しかし自分の嫌いな人が周りにいた場合、その嫌いが自分に移っていく。結果自分のことを嫌いになる。そして、もし自分のことを嫌いになったとしても、自分がその性格になった以上、トリガーが周りの人だったとしても何も言えない。自分が悪いんじゃないって思いたかったりするのに。

 

・呪いって「まじない」って読める。まじないって読むと、なんか可愛く見えるのなぜかしら。「まじない」は「呪い」って漢字を与えられたこと、怒ったりしないのかしら。呪いという言葉を与えられてしまったが故に、それがくっついて回る。のろい。

あなた、生きるリズム早いのね

って思う人時々いる。

 

・生活していると「この人リズム早いな」とか思う時がある。
 例えば行動している時の速さとか、遅さ、とか。会話の時の速さとか。(ふとした時に手がめちゃめちゃ早く動く人は、また別枠。「えっその加速値何?!」って思ったりする。)


 人の生活するリズムは流動的だとは思うけれども、テンポが速くなりやすい人はいる。そういう人を見ていると、意図的に遅くした方がいいのでは、と思う場合もある。
 思考回路のテンポは遅いけど、行動のテンポは速い人もいる。あれはどういう現象なんだろうな。自分のパーソナリティに合ってるのかしら。
 自分のテンポを相手に合わせる人もいたりするよな。とは思う。ああいう人すごいよね。あんまり見たことないけど。

 

・生きるリズムが速い人はちょっと接してて疲れてしまう時もある。逆に自分の許容外に遅い人はイライラしてしまったりする。あと、リズムが速い人はミスをしやすい印象がある。偏見と言ってもいいかもしれない。生き急ぐのは大丈夫なのか。ビリーバーは息が長いのだろうか。あなたのパーソナリティにそのテンポはあっているのか。
 途中でゆっくりになってくれ、潰れないうちに、それか新しい道を見つけてくれ。と思ったりする。

 

・よく「人生は短い、時間がない」って言う人がいる。生き急げるパーソナリティを持った人が「人生は短い」って言えるのだろうな、と思う。生き急げないことは、良いことでも悪いことでもない。生き急げることも同様だと思う。
 生きるテンポが早い人に対して「遅い!」っていうのは酷だったりする。でも、そう言わないと、本当は生きるテンポを早く出来る人が自分の遅さに慣れてしまうこともある。

 

・「人を変えるより自分が変わる方が早い」っていうのは確かに思うけれど、同様に「人から変えられることを望んでいる人」っていうのは少なからずいると思ったりする。自分を変えるのは強いことだったりする。「人は人、自分は自分」っていうのが重要視される価値観の場合、「人に帰られたい」ってパーソナリティの人は自分で決める必要があるから生きるのが大変だったりする。

 

 リズムがいい人は、接してて踊れるよね。そういうことかしら。

分かって欲しいわけじゃないのよ

分かって欲しいわけじゃないのよ!!!!

 

・会話とは「とりあえず時間を共有すること」が目的だと、私は思ってる。
 世の中の大抵の人生や問題には正解はなく、「どちらの選択肢がベターか」が終着点になる。あとは「人それぞれ」も終着点になる。
 ただ、会話をすることでのメリットは各個人の主張や自分の考えなどを織り交ぜ「あなたにはこうであってほしい」と「私はこうしたい」のバランスをとれることだと思っている。自分一人だと、どうしたって視野が狭くなりがちだし。他人を求める時もあるし。

 

・ただ、会話をするというのは難しい。特に日常会話だと非常に難しさが増す。人のテンションに敏感にならなければならない。あ、前にこれ書いた気がする。割愛。

 

・日常会話の中で、何気なく投げかけためちゃめちゃ無難な話題で、想像以上に発展することがあったりする。あの時「おお、投げかけてよかった」と思う。
 でも同時に、「あーやっぱりこれくらいしか発展しないよね」と思う時がある。でも、さっきみたいな経験があるから、投げかけちゃう時がある。
 もう少し言うと、「とりあえず場を埋めるためにする話題」がある。自分も相手も話したいことが一段落して、次の話題を見つける為の1手、というか。
 そういう時に相手の会話が「あー分かるー」だけで終わってしまうと思う。わかってほしいわけじゃないのよ、あなたの話したいことを知りたいのよ。と。共感を求めているわけじゃないのよ。私はあなたの話を聞きたいのよ、と思う。上手く繋げられなかったこっちが勝手に悲しいだけなんだけどさ。

 人に期待する自分に気づいたりする。苦手な人ほど期待している時もある。難しいよね。

 「察してくれ」というのはあまりにも人に対して不親切だけど、察してもらうことを相手に求めてしまう。察してくれる人の方が楽だったりするしな。

 

・話の内容ではなく、話をした意図を分かってほしかったりする。...分かって欲しいんじゃん!

怒るも感情の内

「喜怒哀楽は同じレイヤーの感情なんだ」と、やっと分かった話。


・怒ってる人がめちゃ怖い、って話は前にしたのだけれど、最近若干考えが変わってきた。いや、まぁ怖いんだけど。

 怒ってる人が苦手だ。怖いから。面倒だから。自分が怒ってるのが好きじゃないから。感情の中でも一番接したくない部分だから。喜怒哀楽の怒りの感情はある程度抑えてきた。「怒りは分解すると悲しい」とかになってくることが多い気がしてたから。純粋な怒りはあまりないように思ってたから。でもそうじゃないんだな、怒りって普通に感情としてあるものなんだな。んで、怒りという感情のおかげで人間が成長したり、他人との距離が狭くなったりするパターンもあるのだな。(後者はレアリティ高い)
 ただ、怒りという感情が無い人間になりたかったのはある。周りを不快にさせる率が高いじゃん。多分。

 

・人と接していてどうしても傷つくのは、避けられないものだったりする。その時の選択肢としては ①傷ついたことを言う ②傷ついたことを言わない のどっちかになる。さらに①では言い方を考えたりする。オブラートに包むのか、感情をぶつけるのか。感情をぶつけられる人は「空気が悪くなることを承知で(それよりも手にしたいものがあるから)感情をぶつけてくる」のか、それとも「ただ単に感情をぶつけたいからぶつける」のか、どっちかになってくる。
 いくつになっても人に言ってしまった言葉で後悔が尽きないのは、パーソナリティにも関わってくることなのだろうか。

 

・その人が裏で考えていること、自分の知らないところで何を考えているのか、等、考えていたらキリがないことをいくらでも考えてしまったりする。考えていてもどうしようもないのにな。面倒に思う時もあったりする。でもそれで今まで過ごしてきたから、そのパーソナリティを変えるのには一苦労したり、変えられずに「あーまた考えてるわ」って思ったりする。こういうコメント、多分ありがちだけど、大変だよねー。

 「怒った時こそ人が分かる」っていうけど、結構その通りだったりする。怒るって感情を分解していくと、自分のことに気づくことは往々にしてあったりする。怒りという感情とは上手く付き合っていきたいよね。

 でも、怒るのって大変だよねー。後処理が面倒だよねー。怒る人すごいなー。

私は君のことを知らない

「いくら経験しても、解釈でしかないのだろうな」と思う。

 

・生活を積み重ねると「あぁ、今この人は私の過去のこの感情に似ているのかな」とか思ったりする。前に感じた感情を、相手に当てはめて考えたりする。感情の共有ってやつ。「分かる〜」のやつ。

 感情を相手に当てはめて考えると、人との繋がりが感じられたりする。色々な感情を経験していた方が、そういった意味でも相手に対しての解釈がしやすくなる。視野は狭くなったり広くなったりするけれど。「私の感情簡単に理解しようと思ってんじゃないわよ!」的なこと。しちゃうよねー。

 

・感情を経験すると同時に、行為の経験をすることで生活に差し色が加えられる時がある。

 「君の手首の匂いを嗅ぎたい」みたいな歌詞を読んだ。「なんで手首なんだろうな」って思ってたけど、あれは香水の匂いなんだな。最近香水に接する機会があって、始めてわかった。

 加えて言うと、手首の匂いを嗅いでいる「私」は「手首の匂い=香水」と認識していなさそうだな。「私」と「君」側で経験に差がありそうなことを感じて、めちゃくちゃ切なくなってしまうな。

 創作物に触れていると、割と香水を使う人が出てくるのだな、と思ったりする。この人は何を積み重ねて、香水を自分の体につけるようになったのだろうな。

 

・「この人は何を積み重ねてきたのだろう」という人がいる。
 自分と違う行為の経験をしていたり、自分の経験してきた感情とは別レイヤーの感情を持っていそうな人がいる。

 自分も相手も違う人間なのだから、人とわかりあえる時なんてそうそうないのは分かっているけれど、でも同時に、触れ合っちゃうように感じちゃう一瞬があったりする。
 でも、自分と同じような行為の経験をしても、抱く感情が違う時がある。事実。

 

・自分だけがコミュニケーションの齟齬を感じる時、相手だけが感じる時、両者が感じる時、多々あるだろうけれど、何よりも「感じてほしかった時に感じられなかった」時が一番切ないよな。「私は君のことを知らないんだ」って改めて感じちゃうというか、「分かっている」と思っていただけの自分に気づくというか。驕りとか、エゴとか、色んな事に気づいちゃう時があったりする。

 

 あと、コミュニケーションの齟齬は双方の責任なのに、謝りたくなっちゃう時あるよな。相手がちょっと乱暴になった時とか。

 その感情は、分かり合えない他人の感情の中でも結構分かる気がするよ。「乱暴にさせてごめんな」みたいなこと思うよな。

 あと、「多分乱暴な自分嫌いなのに、私との会話でその乱暴を出してしまってごめんな」と謝りたくなってしまうよな。君は私のことを知らないんだ。

 この感情、多分相手は知らないのだろうな、でも言ったら野暮になるよな。世の中には野暮なことが多いよな。

 

P.S.この曲です!! 「午後」は上半期ベスト1です!!
https://www.youtube.com/watch?v=tflBLxwCWb8

君が変わらないことを前提にしてる

ってパターンが多いと思う

 

・「他人と自分は違う人間なんだな」って、生活を積み重ねていく度に思ったりする。そして「他人を変えよう」と思うことがいかに大変か、言い換えれば、いかに面倒かを実感する。


 それ故に生活を積み重ねていく上で「相手に期待しすぎない」という優しさとも怠惰とも諦めとも呼べる処世術を手にしてしまった。時と場合と立場により受け取り方が変わるので、「良い悪い」や「好き嫌い」で決められるものではなかったりする。それ故に人間は矛盾を抱えながら生きていくしかないのだろうな、と漠然と思ったりもする。否、主語が大きい。特定の誰かの話だ。色んな人いるしな。全国民にアンケートとった訳じゃない。でも矛盾と向き合う人が多いのは確かな気がする。知らんけど。

 

・他人を見限ったり、意思の疎通を諦めたり、自分の考えを推し進めようとするのは、相手が変わらないことを前提としている場合が多い。
 自分が変わることが出来る以上、相手にだって変わる可能性がある。でも、自分のことしか分からないから、人が変わることを前提とはしてないのだ。
 他人が変わると信じている人は「すげーな」って思うけど、他人が変わらないと信じている人は「寂しいな」って若干思ったりもする。この考えは未来で変わるかもしれない。

 

・変わることは良いことでもあるし、悪いことでもあったりする。誰にとってか、という目線でも、時期にとって、という目線でも。
 最終的にどうなるのがいいことなのか、着地点はどこなのかを正確に設定しないと、諸々見失っていく気がする。
 変わらないものは、今まであった変わる条件を跳ね返してこれた、という意味で強いのだろうか。変わらないものを変えることは大変なのだな。同時に、それを変えようと行動する人は強かったりするのだろうか。「変わらない」という事実を保つ強度が高い、というか。

 

・すごく漠然とした話をするけれど、世の中は他人を変えた人がスポットが当たりやすかったりする。
 自分を変えた人も、諸々背負ってるのだ。そういう人にもスポットが当たってほしかったりする。
 ...漠然としてる!