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無慈悲!無慈悲!

羽広げれば悲しみは消える

嘘こけ!

 

・人間、常に色々なことを考えてると思う。「今日の夕飯どうしよーかなー」とか。「あの映画見てなかったなー」とか。「あの時どんな言動をするのが正解だったんだろおうなー」とか。断言出来ないよな。自分の頭しかわからないのだから。もっというと、自分の頭も良くわからないしな。
 みんな何考えてるんだろうな。「何も考えてない」って言う人の頭の中を覗いてみたいよ。本当かい。確かに「もっとあなた考えた方が良いのでは...」と思う人もいるけれど、それ以上に「あなた本当にそれで何も考えてないの...」と思う人も多かったりする。すげぇーってよく思う。そのパーソナリティ、俺にも取り入れたい。どうすればいいのか。一緒にいる以外に出来ることはあるのだろうか。

 

・色々な経験が増えてきて「自分が考えてるのだから、相手も違うことを考えてるのだろう」と思うことが出来るようになった。同時自分の中で積み重ねた思考を、急に相手にぶつけてしまうのは、酷だということにも気づいた。相手にも思考が必要なのだ。「変なこと言ってごめんね」と謝りたくなってしまう。でもそのテンションで始めてしまった以上、もうそれで進むしかなかったりする。

 

・表面化するテンションが適切な人がめちゃめちゃ羨ましい。会話の中で余分なことを考えず、枝分かれせず、話のルートが適切な人。会話をする時のテンションが一定な人。人との会話に、コミュニケーションに、相手という存在に、興味を持てる人。同時に、そのフリが非常に上手い人。相槌が適切なタイミングな人。
 どう上手くやれば、日常会話という絶対数が多く、常に意識をしなければいけない、普段の行動が出やすいところで、うまい具合に変化させていくことが出来るのであろうか。目的がある会話も難しいけれど、日常会話で目的がブレた時ほど難しいことはない。イレギュラーも起こるし。

 

・もっと自由に話したくなったりする。今まで生きることとは「幸せになる」というのがメインテーマだったように思っていた。分解して「上機嫌に生きる」だと思っていた。でも「自由に生きる」というのもメインテーマになりうるのだな。「自由に生きる」を分解すると何になるのだろうか。「気にしなくなる」だろうか。「リスクを背負える」だろうか。「悲しみがなくなる」だろうか。そりゃ翼欲しくなるわ!

必然性が足りない

いつだって足りない

 

・人と生きていく上で「必然性」って結構大事だったりする。人にものを頼む時は「あなたにやってほしい」ということに加えて「あなたでなくてはいけない理由」が大事だったりする。

 それを導く方法としては、ゴールからの逆算がテクニックとしてあったりする。

 でも、えてして生活はゴールが見えなかったり、ゴールが見えていたとしても、そこからスタートへの道筋が上手く建てられなかったりする。さらには途中でイレギュラーも起こる。ゴールへ進んでいく途中で選択肢が増える。その選択肢は、よりよいゴールに到達したりするケースも多いが、そう見えて実は悪いゴールに到達するようなものだったりする。

 そうなってくると、必然性がどんどん揺らいでしまう。「だって未来変わるし....」といった具合に。そうなってくると長期スパンのことほど、計画立てが難しいのは当然だったりする。

 経験を積んだ結果、相手を説得でき、何より自分を説得する必然性は、どんどん足りなくなってしまう。皮肉。

 

・選択肢が多すぎてしまう、自分で絞り込む、もしくは他人に絞り込んでもらう必要がある。例えば、「あなたに向いている、もしくはあなたに適しているのはこれですよ」とか言ってほしくなる。それが信頼に足る人だったらなおさら。そしたら自分で自身を持てるし、自身を説得出来る。

 「自分が何をしたいか」で行動を決められるほど、「したいこと」と「向いていること」はイコールではなかったりするので、身勝手には生きられなかったりする。身勝手に生活すること、それに付随することに対して、相応の失敗をしてきてしまった。もう学ぶ時だ、と思ったりする。

 

・必然性はいつだって足りない。直感は強い。相手にそれ以上突っ込まれないから。自分もそれ以上突っ込めないから。

 判断基準としての直感は、あったら便利だったりする。最初から考えずに出来る天才だったり、「したいこと」と「向いていること」が直結している稀有な人ではないのなら、考えて考えて、結果考えなくてもできるようになるプロセスだったり、自分を説得する為の必然性を作り出す経験が必要である。人生は長いのか、私達はその判断が必要なタイミングまでに間に合うのか。

三重に行った

「あージュゴン見に行こー」って思って三重に行ってきた。

なんでも日本で飼育されてる水族館は三重にしかないらしい。贅沢の三重。

 

以下写真。

 

どこの駅から行ったのか記録したのに、記録になってなかった

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鳥羽駅ついたらなんかすごいのあった

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ドラクエ7だったら仕掛けがある

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呪われてるのか

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この世界観ジョーズで見た

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シンクロしてた

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全身入ればいいのに

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骨と一緒に展示されるのはシュールだ

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想像よりジュゴンは小さかった

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以上。

言葉を発せど噛み合わない

行動という本名とは

 

・「その人が何を言ってるかより、何をやってるか、で判断すべき」ってことはよく言われることだと思う。

 言動なぞ、立場や状況や年齢によって変わっていくものなのだから、あまり参考にしない方がいいと思ってる。大体、言葉も行動も信用ならなかったりする。自分の及ぶ範囲の言動で影響があること、無いことがいくつも重なった結果、状況が形成されるのだから、最終的には何が起こっても運命だと思うしかないのだろう。なので自分が後悔しない道を選ぶことに尽きるのだろうな、とは思う。

 人生は積み重ねるものだったりするので、年を重ねると自分が後悔する傾向がわかったりする。それに対して対応策を打てたら「よっしゃ」となる。同時に対応策を打てなかった場合は「人らしいな」と思う。

 マイナスに働くことが多い状況を「人らしいな」と思うのは、人は矛盾を抱えていきるもの、という考えからだと思っている。「成長」という言葉は、「矛盾を抱えて生きる」というイメージから遠ざかってしまう気がするので、苦手に感じる。

 個人的な話だけれど、私は歳を重ねるたびに生活が切なくなってしまうよ。楽しさと悲しみが同居している感覚があるよ。あなたはどうだい。

 

・言動は、他人からの見てギャップに大きく影響するだろうな、とは思う。

 例えばその人が「ビッグマウス&仕事めちゃ出来る」だったら「おおー」ってなるだろうし、「ビッグマウス&仕事全然出来ない」的な感じだと「えー」ってなる。

 ただ同時に「『何も出来ない』と常に言う&仕事全然出来ない」って人は「あぁ、自己評価と合ってるのね」となっている。

 言動と行動、ズレがあったら他人が戸惑う、っていう言い方が正しいのだろうか。

 常に自己評価は周りとずらさないように生きていたいけれど、自己評価が周りとずれてしまうことも人らしかったりするよね。大変だなー。

 

・あ、あんま関係ないんですけど、今週金曜日ライブです。詳細は私のツイッターにて。

笑顔不快

あぁ果てしのない 笑顔不快

 

・正直語呂とオマージュで決めた部分があるので、そんなにめちゃめちゃ不快な訳ではないのだけれど、自分の笑顔を見ると萎える。普段鏡では真顔の自分しか見てないからかしら。
 例えば、知人と話してて、ふとした瞬間に自分が笑ってる顔が鏡に写ってるとめちゃめちゃ萎える。他にも、集合写真で自分の笑顔を見ると、超萎える。スーパーで買った10枚入りの大葉の5枚くらいが黒くなってたときくらい萎える。だから写真は真顔で撮られるに限る。

 ついでに言えば「笑顔が人を幸せにする」なんてことあるはずない、と心から思っている。ほら、笑顔が怖い人とか、笑顔の裏でなんか思ってそうな人とか、色々いません? 私は時々「めちゃめちゃこの人に今気を使わせてるんだろうな...」とか思ったりする。

 

・「私の言動で相手にこういう気分になってもらいたい」みたいなことを思う時があるが、得てして自分の顔や声など、自分を構成する要素だと、それが叶わないことが多かったりする。後天的なものでカバーをするしかないのだろうな、と思ったりする。でも、後天的なものって得てして身につけるの難しいよね。

 自分のことを演じてくれる人が欲しい、せめて「萎える」という感情を私が抱かなくていいようになりたい。抱いたらめんどくさいし。
 自分で自分のイメージを具現化出来たらいいのだけれど、自分ではイメージの60%くらいしか表現出来なかったりする。
 あと、曲でもそうだけど得てして他人に手渡した方が良くなったりする。その分考えなくてはいけないことも増えるが、それ以上にバックが大きいことはある。

 本人の代わりに日常の言動や行動を代行してくれるサービス無いかしら。

 

・めちゃめちゃ顔面偏差値が高くて、声がめちゃめちゃ透る知人がいる。相手の作ってる表情や言動を受け取った後、私が頭で処理するのがスムースに出来るので「この人みたいに笑えたらなー」と思ったりする。声を活かす仕事をしている。

 印象的な発言がある。私はずっと知人をいい声だな、と思っていたのだけれど、声を活かす仕事につこうと努力し始めた際に「私は天才ではないから、先人たちがノウハウを残してくれているのがありがたい」ということを言っていた。
 最近久しぶりに会ったところ、声の性質を言語化出来るようになっていた。「喉から出てる」とか「鼻から出てる」とか。(多分もっと専門的なことを言えるのだろうけれど、私のレベルに合わせて喋ってくれているのだろうな、と思った。性格もスマートだな)

 自分の才覚を考慮し、努力をし続けている人の積み重ねが見れた。私が知人に憧れる理由の一つだった。

 

・年と経験を重ねていくと練度が上がり、上手くいくことはあったりする。そうなれるのだろうか。
 ほら、aikoも今の方が磨きかかって綺麗。歌詞は「もっと」の二番、曲では「格好いいな」が一番好きです!

積み重ねたから戻れない

過去が自分を支えると同時に、足を引っ張ることもある

 

・「キャラ」ってあると思うんですよ。「自分はこういう人間だ」と示すための態度というか。それが「素かペルソナか」問題は多々あれど、多かれ少なかれ比較的多くの人があると思うんです。加えていうと、ペルソナが無い人はすごい。(その人にも別で考えてることがあるのかもしれないけれど、すごいなーと感じてしまうよね。「相手に好かれたい」とか「人間関係を崩したくない」「人間関係を円滑にしたい」とかがペルソナを使うときの分かりやすい理由だったりするけど、それに重きを置いてない人は、その人の人間性は度外視してもすごい、と感じてしまう。加えて言うと、ペルソナの使い方がすごく適切な人が稀にいたりする。そういう人はただただ驚くし、めちゃめちゃ羨ましい、と思う)

 それ以上に自分の言動や行動が今、素かペルソナかがわからなくなってたりするとき、ありません?

 

 相手につけてしまった自分という印象故に、そこから逃れることが出来ず、その自分をさらに積み重ねてしまう。途中で「あれ、私このキャラ設定ミスった...?」と気づくが、時すでに遅し。修正するには長い時間が必要だったり。相手の思考回路によっては修復不可能だったり。オーマイ!

 

・人から見た印象は、積み重ねてしまうものであったりする。今まで出してた言動行動とは違うキャラを相手に出してしまうと相手は戸惑ったりする。戸惑うだけならいいのだけれど、相手の思考の枠組みから外れるとあまりいいことにはならないのが定石だったりする。そうやって考えると、ちょっとずつ修正しようにも大変になる。大変だ!
 積み重ねてしまったがゆえに逃れられないものが多々ある。これは前のブログでも書いた気がする。その業を背負って生活するのか、一回リセットするのか、それとも違うルートを探るのか。諸々選択肢はあれど、生活が進んでいくことには変わりなかったりする。

 

・先日社長と話した。「社長という権限を用いて、会社を変えるのは怖くないですか?」と質問したら、「僕は変えない方が怖い」と話していた。この人にしか見えない世界があるのだろうな、と思った。同時に積み重ねてきたからこそ、逃げられないことや、指揮をとらなくてはいけないことがあるのだな、と漠然と感じた。お金を稼いでいる、社員の生活を担っている、色々な人の考え方を背負っている、色んな業を背負っているのだな。同時に、「力を持ったら、考えなくてはいけないことが増えるな」と思った。
 「適切や程々がいい」というが、大きな力を持つことで、業を背負ってくれている人がいたりする。わかりやすく言うと、上に立つ人は批判をされる。でも同時に、上に立てる者に人は群がったりする。

 

 何かを積み重ねる、ということは、それを背負う、ということだったりする。
 自分が背負ってる自覚を持って積み重ねたものは、自分がどういったものを背負うか想像をつけているだろうが、気づいたら積み重ねてしまっているものは、その人に対してどのように働くのだろうな。途中から修正がしにくいものだったら、キツいだろうな。

 とすれば、修正がしやすい世の中になるのがいいのだろうか、そういう傾向になっているとは思うが、修正せざるをえない世の中になっているような気もする。簡単に人やものに対しての執着を捨てられる時代、というのも寂しい。
 なるべく自分が背負うものを認識した上で積み重ねていくのがいいのだろうな。戻れないことの方が多いのだから。

 

 だいぶ大きな枠組みで話したな。そのキャラ、継続して大丈夫?って話です。
 ただまぁ、それをしたことで得るものもあるよね。ただ失敗や、それに伴う修正は叩かれないでほしいな。広義で言う!!!

雨嫌い

考えることが多いから

 

・朝起きて、カーテンの向こうから水飛沫を上げる車の音が聞こえたり、壁の向こうから排水してるであろう音が聞こえてきたり、「あーもうこれ絶対雨振ってるじゃん」みたいな雨音が聞こえてくると気分が落ちる。雨が嫌いである。より詳細に言えば、雨に付随してくることが嫌いである。
 靴が汚れる、とか、服が濡れる、とか、髪がモワッてなる、とか、色々要因はあるのだけれど、一番大きい要因は「イラつく人を見ることになる」からである。

 

・傘のマナーが悪い人をよく見る。周りを確認せずに傘を開いたり、傘を地面と並行にして揺らしながら歩いたり。全世界の傘が折りたたみになればいいのに、くらい思ってる。その人に対して抱く感情が出来てしまう。「あぶなっ」とか「こいつ前しか目ぇついてねぇのか?!」とか。私もその内の一人。そしてそれ以上に、最近はツイッターでそういう「傘あぶないですよ」のイラつきが言語化されたものをよく見る。あれが苦手である。「あーやっぱりいるんだな」と思いつつ、コメント欄とか見ると「この人はイラつきに来てるのかしら...」と思う事が多い。ああいうのを見ると、なんかTV番組思い出す。なんだっけ「ざまあみろジャパン」みたいなやつ。全然思い出せない。自分がいかにイラつく世界に立ち入らないようにしてるかが非常によく分かる。イラつく人が多い世界には行きたくない。ので、イラつく要因はなるべく世界から無くなってほしい。まぁそうもいかないのだけれど。

 

・あと、傘を地面と並行にして歩いてる人を見たら直接「危ないっすよ」って言いたい。でも怖い。言った直後に「あぁ”? なんか文句あんのか?!」って殴られるかもしれないじゃん。不条理。

 加えて「この人なら言っても大丈夫そうかも....」と思い、言おうかなと考えるのは一瞬あれど、私が人によって言う、言わない、を考えている人間だ、というのが悲しくなってきたりする。「殴られない人には声をかける、殴られる人には声をかけない」って、なんか行動が統一されてないし。

 まぁ、事故は起こってないのだろうし結果オーライと言えばオーライかもしれないけど。でもさ、なんかさ、怖いじゃん。なんかあってからじゃ遅いし。ああいうときはどうするのがいいのだろうな。相手にとって、自分にとって。

 

・自分から見て気づかないこと、他人から見て気づくこと、逆もしかり。恥と間違いは晒しあって許し合って生活していくのは大事だったりする。自分が怒るには、相手から怒られることを覚悟してなければならない。
 相手から怒られたくないから、人は怒らなかったりするのか。知らん。苛ついてる人は見たくない!