気を遣われると嬉しい
気って遣われる、であってるよね。
・「この人私のことわかってくれる」って思った時ってあります? 私はそんなにない。
各個人生き方や考えてきたこと、加えて経験も違う。なのでそれは当たり前だとも思う。
でも稀に「わかってくれた!」って思う時がある。
それが飛び跳ねるくらい嬉しかったりする。
こないだあった。その時の話をする。
・平日、仕事をしている時に自分の進め方に対して懐疑心を覚えた。
そして「あれ、そもそも方向性合ってるのか?」と袋小路に突入した。
なので、いつも仕事の面倒を見てくれる会社の上司にアドバイスを求めた。
話をすると私に対して「よく考えるね」と言ってくれる人だった。
「今回のプロジェクトに対してこのようにアプローチをしてます。ただちょっとうまくいくか分からなくなってきました。上の方から見てどうですか? より良い方法はもちろん、そもそも私の考えてるアプローチでいいのかご意見伺いたいです。」
的な聞き方をした。なんかうまく言葉にならなくて、2~3分くらい話した。長いなと自分でも思った。
上司は少し間を開けた。
そして「これは大丈夫、次はこっちを考えること。オッケー?」という話をされた。
想像していたより、あっけない回答だった。30秒から1分くらいだったと思う。情報がとても少なかった。
しかしそれ故に「気を遣われた! 適切に話をされた!」と感じた。
普段私に対して「よく考えるね」と言ってくれてる人なので、色々考えないように言葉を絞ってくれたのだな、と思った。
それこそ泣きそうなくらいに嬉しかった。「うっわー! うっわー!」ってテンション上がった。
・会話をしていて、相手に伝わってないな、と不安になると情報を重ねてしまうことがある。
人は誤解をする生き物だったり、話したい生き物だったりする。
「相手に適切なことだけを話す」というのがどれだけ難しいことか、今までの生活で泣いちゃうくらい実感してきた人もいると思う。
それに、会話をしていると「相手に対して気を遣おう」と考えてる人と、「自分は気を遣ってる」と思いたくて話をしている人がいる。
それも人らしいのだけれど適切に気を遣われないと疲れてしまうこともあったりする。
・ちゃんと考えはじめると、吐いちゃうくらい多種多様な人生がある。それぞれの人に背景がある。
その中で「今自分が会話してる相手にちゃんと気を遣う」というのは相当に難しいことだと感じる。
上司の1分弱の言葉から「私のことを慮って接してくれたのだな」と強く感じた。
「気を遣って発言するのは、人の理解に繋がるんだな」と気づけた。
何より、「気を遣われると嬉しい」と感じたのは初めてだった。
会社の用事で大阪に行った。その時に天王寺動物園で撮った写真。また行きたい。