please_hitme

「ピンと来てくれ」の意です

直感は頼りにならない

ならなくない?

 

・ノリ、とか、なんとなく、で選択をする人が心底羨ましい。本当に羨ましい。先日まびちゃんがライブ前にステージ衣装を買ったと言っていた。店に入って4秒位で即決したらしい。結構な値段したらしい。超羨ましかった。そんなことを、ノリとか直感とかで決められない。まびちゃんは凄い。

 

・こないだAimerがこんなことを言ってた。

 


 魅入られて止まないと感じた経験や、心から惹かれると思ったことは一度もなかった。惹かれる、は積み重ねてきた。「ここまで時間を費やしたのだから、きっと運命なのだろう」と自身に気づかせるようにしてきた。運命だと思うようにしていた。積み重ねることで、もう逃げ場がない、と思うようにしていた。
 でも多分、積み重ねたものよりも、衝動的に惹かれたものが素敵に映る場合が多い。
 本能で惹かれるものに、心から惹かれるものに、会いたいと思ってしまう。
 「あっこれ運命かもしれない」と直感で思ったことは、往々にして間違ってきたし、上手くいかなかった。
 直感は、信用ならない。

 

・「直感は経験から産み出される判断」という言葉をどっかで聞いた。

 自分の直感を信じることが出来る人は、心底羨ましいと感じる。相手の中で、直感を感じるほどの経験をしてきたように思うからだ。その経験を信じているからだ。自分の今までしてきた行動から導き出された直感を、信じることができるからだ。
 ...えっ、直感で判断出来る人、めっちゃすごくない?

 

・経験が、まだまだ足りない。直感は、まだまだ頼りにならない。
 ただ死ななければ、まだ人生は長い。
 宿命とか運命として感じる直感を、人生で一回くらいは感じたいと思う。

感情は面倒

だよね

 

・「マイナスの感情出してる人の方が信頼できる」という考えがある。例えば、怒ってる人は隠し事がないから信用できる、とか。あるけれど、なんか悲しくなってしまう。人を気遣ったりする人が信用されないことと、ニアイコールだと思うからだ。プラスの面で人のことをコントロールしようとする人はいる。他人を褒める人とか。そういう人が信用されないことは、悲しくなってしまう。
 「他人を褒める人」は、「人を動かしたい」以上に、多分「空気を壊したくない」とか「いい空気を作りたい」とかそういう感情が働いてるが故だと認識してる。だから、悲しくなってしまう。知らんけど。
 なんか自分の行動がどんどんマイナスに見えてきてしまう時もある。「私打算的な行動してるのかな」とか。周りからそう見られる時もある。「あの人打算的だよね」とか。

 

・話は少しずれるけど、マイナス(怒り)の感情は分解すると「悲しい」とかになる気がする。同時に、安易に怒りという言葉でまとめちゃいけない気がする。怒ってる人を見るのは、ある程度悲しい。
 最近、怒った後に悲しくなる。
 ただ単に、怒らせてしまったことが悲しくなってしまう。
 怒らせた内容より、怒らせてしまったことが申し訳なくなってしまうことがある。
 でも怒る感情って人間誰でも持ってるものだ。同時に、非常に扱い辛いものだ。

 

・素直に生きなければいけない、どっかで無理が祟ると思うからだ。
 素直に生きると、色々と出てくる。プラスも、マイナスも、マイナスを隠そうとする時も、上手く出せないマイナスもある。
 感情は諸々面倒なものだ。感情は、出したら他人に渡してしまう。評価されてしまう、印象を与えてしまう。確実なものになってしまう。色々と面倒なものだ。

 

・久しぶりにハレのライブをした。
 楽しかった。けど昔の曲で、その当時の感情を思い出した。
 沈めた後に思い出した感情は、なんか懐かしかった。

 色々と、更新していきたい。また適当にやる。

夢うつつ

いつまでもまどろんでいたい

 

・ここ数年で「休日は寝る」という行為を覚えた。それまでは「まとまった時間を使える! ちゃんと使わなければ!」と考えていたので、ガンガン活動していたが、なんか面倒になってきたし、休日何かしなければ、と思うことに疲れてしまった。まだ「何かしなくては...」と思う部分もあるが、休める時は休む、というのは大事だと考えている。

 

・「なにかするという選択肢がある」と考えるようになると、そういった負担が無くなった。自分の好きなことをすればいいのだ、と気づいた。何より、休日ダラダラ過ごしている人を見て「あの人時間無駄にしてる...」と思わなくて済んでいるので、精神状況に非常に優しい。色んな人がいるのが当たり前だよな。多様性、バッチこい。

 誰かにとっての優劣はあれど、生命自体に優劣は無い。しかし、そのことを常に踏まえて生きることは難しい。同時に、接する相手に対して「あなたは私と合わないだけで、人の尊厳としては全く問題が無い」と伝えるには、人間性に対して言及してしまうことがある。過激派には、なりたくないが、なっている場面も多いのだろうな。

 

 話は戻るが、もう一つ。「寝ている自分よりもなにかしている自分が好き」というのもまた一つの事実である。適当になんかしていたい。よね。

 

・私はお酒が飲めない。「酔う」という感覚はおそらく「まどろむ」に非常に近いだろうと想像している。合ってます?

 眠い、という感覚は非常に心地が良い。寝ていたい。暁を忘れるには、まだ早い。覚えるまではもう少し。

 花粉症がキツくなってきた。鼻水と目のかゆみに苦しんでるそこのあなた、お互いがんばりましょう....

話には題が必要なのか

永遠に話題が出てきてほしい、と思う時がある。

 

・人と話していると「あっ話題終わっちゃった」って時ありませんか。唐突に終わったり、なんとなくこれ以上会話が進まないだろうな、って少し前から気づく時もあったりする。
 そういった時は、この次どうやって展開させようか、何を聞こうかすごく迷う。その人が自分にとって「もっと相手を知りたい」という感情を持つ人だった場合、特にそう思う。思いません?
 その人のことをもっと知りたい、自分では言語化出来ない何か(感覚としては「好き」に非常に近い)を相手に伝えたいのだけれど、直接的に聞いたり、言ってしまうと野暮になってしまう、もしくは答えづらい質問になってしまう。非常に悩む。何をどう聞けばいいのか、思考時間が日常会話の中では足りない。一回時間が止まってほしい。
 例えば、「なんであなたはその考え方を構築出来たのですか?!」とか聞いても、多分答えられないよね。面倒くさい質問だぜ。何回かしたことあるけど。

 

・会話の内容なんか、正直二の次で、本当は相手とコミュニケーションをしていたいと思うだけだったりする。
 でも、一回に距離を詰めてしまった相手ほど、後々続かなかったりする。無理が祟ってしまったり、自分や相手の感情の変化だったり、原因は様々ではある。
 ちょっと物足りない位で会話が終わっていた方が、続くことがあったりする。関係が続いてほしい相手には、考えないと続かないし、考えても続くとは限らない。永遠に話題が出てきてほしい。それも相性かな。そういう人に会うのかしら。
 何にせよ、会話が出来る、ということは、気の合う人であったら非常に嬉しいことである。一方通行になることもあるし、考え方や環境が変わることもある。自分からも、相手からも。環境が違うと、共通項が少ないから、会話が難しくなってしまう。自分の言葉が相手を傷つけてしまったりする。私の配慮不足だったり、相手の自尊心の低さだったりする。相手の言葉で傷つけられた、と思うのは、自尊心が足りてない時だったりする。
 人を傷つけず、ある程度いい距離を保てるような話題が、いっぱい出てきてほしい。

 

・話には「伝えたいこと=主題があるといい」と聞いた。題名がない、というのは非常に楽だ。だからツイッターは続いている。でも、題を考えることは、いい感じに頭を捻る。ブログは適当にやる。


追記
知人に言われたので補足します。先日のLCCの水の話はCAの方が「コーヒーのピッチャーしか手に持ってなかった」という事実だけで話をしています。言ったら控室から用意してくれたかは知らない。あとコンプリートの無償版は操作が全然わかりませんでした。むず。

機内でコーヒーしか出してくれなかった

そこから考えたこと、他

 

・本当にタイトルに集約されてしまって、それ以上あんまり言えないんだけれど。こないだ某格安航空で飛行機に乗った時、機内でコーヒーしか出てこなかった。私はコーヒーがあまり好きではないので、すごく不公平だな、と感じた。コーヒー好きな人からすれば「えー! やったー! コーヒーだ!」ってなるのでしょう? すごく不公平である。なぜコーヒーだけなのだ。金を出してる人がコーヒーが好きだからか。はたまた、某格安航空(LCCって呼ぶこと最近知った)の社長はコーヒーに命を救われたのか。
 苦手な人がいないだろうし、不公平だと感じる人もいないだろうし、水でいいではないか!! 水という選択肢があっても!! いいではないか!! 「えっ....水....? 苦手....」って思う人はそんなにいないだろう!! 知らんが!! なぜコーヒーなのだ!! 釈然としない!! 

 

・繋げすぎかもしれないけれど、最近、LGBTを題材にした話をよく見てる。なので、シンパシーを感じてしまった。「あなたも恋愛は異性とするでしょ?」は、「コーヒーでいいでしょ?」の時に感じた釈然としない感情の何倍くらいなんだろう。私には前者の悲しみはわからないけれど、「釈然としない」感情を持つ想像はつく。オールユーニードイズイマジネーション。まぁでも、他人のことはわからないけれど。

 

・選択肢で漏れる人は、いない方がいい。コーヒーと紅茶がセットになるように、限りなく全員を拾える選択肢があってくれ、と思う。コーヒーが好きな人が世界を回すのなら、コーヒーが嫌いな人を拾える選択肢を作って欲しい。

 

・ただ、前後の話をぶっ飛ばして悪いけれど、ここ数日で急にコーヒー飲めるようになった。飲んでも、別に美味しくも不味くもない。前述の時はその不遇な扱い故に釈然としない感情を持ち合わせたが、別に今ならなんとも思わない。ただ、コーヒーが苦手な人には、大変だろうな、とは思う。
 味覚も変わるものだなと思った。同時に、変わらずポップコーンは好きだ。変わらないものもあるものだな。

Fanction 5

Macユーザなんですけどね。

 

・自分の頭の中にあることを、どーにか形にするというのは難しい。スムースに出てきて出せた場合はいいが、色々と考えちゃったら最後、面倒になる。
 例えば、言語化しようとしたり、分かってもらおうとすると、分かりやすくしなくちゃいけない。共通言語で話さなくちゃいけない。後になって「違うんだ、これを言いそびれていたんだ」とか「このバックグラウンドがあったんだ」とか「あなたの考えを聞いてなかったから、この表現は不適切だったかな」とか「うわーこれ言うべきじゃなかった!」とか思っても、「会話」という限られた時間の中ではそれが難しい。会話の内容というより、出すべきカードの思考時間が足りない。秒読みになる。
 初対面とか、相手の考えが分からない人の方が、定石で会話が出来るからまだ楽かもしれないな、と思う。ある程度関係が出来ていると色々なしがらみが増える。簡単に消えない言葉を言っちゃった過去が出来たりする。相手というより、自分の頭の中から。その人とだけでなく、他に付随して変化してくることもある。稀にいる、特に人と意識せず、他の人を傷つけずに生きれる人は、とても凄いと思う。
 想像力は大事だけど、想像しすぎると疲れちゃうよな。

 

・ただ、言葉にしちゃったら、確実なものになっちゃうし、同時に批判されるものになっちゃう。
 あと、後日考えが変わったら、相手の中の自分を更新していく必要が起こったりする。
 でも、考えを変えなくちゃいけない時もある。そうして、自尊心を普通に抱いていく必要がある。
 いや存外難しいな...全人類が自尊心を普通に持っててほしい....人を必要以上に傷つけないで欲しい....考え方を普通に変えられる世の中であってほしい...

 

・考えを変える必要がない人は凄い。才能だと思う。まじ半端ねえ。
 ただ、そうなれないからこそ、変えていく必要があるのだよな。
 私のことも、私の中のあなたも、更新し続けなくちゃいけない。
 現在は進行形。積み重なる今、何を考えているか、覚えておきたい。
 同時に、何を考えているか定期的に聞いてたい。更新していたい。いつになっても。

覚えてたい

忘れちゃうしな


・「うっわこれ覚えてたらなー!」ってことがちょくちょくある。ありません?
 物語とかの伏線はもちろん、人との会話の中で思うことがある。例えば、自分と相手で、引っ掛かる部分が違う時がある。「あっあなたそこに目をつけたんですね! 全然私気にしてませんでした」とか。相手と引っかかった部分を共有した時に、それを新鮮と感じられたらいい。けど、イラつくとかそっちに考えてしまう時もある。「そっち言ってるんじゃないのに! なんで分かってくれないの!」みたいな。人だから当たり前なんだけど。世界には色んな人がいる。当たり前なんだけど。

・全部覚えてたい訳じゃないけれど、自分が覚えてたいこととは別に「その人が覚えておいてほしいこと」を感じていたいな、と最近思う。自分が好きな人だったらなおさら。いやでも、その人と考え方の違いを楽しみたい気もするな。話し合える人だったら。
 なるべく多くの人と「その人が覚えておいてほしいこと」を共有出来たら、きっとポップになれるのだろうな。でも多くの人と一部分を共有したら疲れちゃうな。どーしよ。
 
・なんか、人のことは分かりすぎない方がいいのかもしれない、と思う。分かりすぎちゃったら、自分がどっかいっちゃう気もするし、相手もどっかいっちゃう気もする。人の影響を受けるし、人に影響も与える。
 ただ、その人と接したことは覚えていたい。どっかで自分の一部になっててほしい。同時に、人とは継続的に接していきたい。どっかで無理だって思わず、適当で適度な距離を保って、頑張らず無理せず接していきたい。相手も自分も疲れてしまう気がする。
 「あっなんか通じたかも」って思う瞬間があるのは、最初苦手だなって思ったりした人だったりする。よく分からん。逆に最初通じ合うかも、と思ってた人程疎遠になってしまうこともある。
 関係は途中で切ってしまうこともあるし、切れてしまうこともある。急だったり、急じゃなかったりする。なんとなく切れちゃったこともある。相手に確かめるのは、野暮だったりする。難しい。

 

・みたいなことを考えて、形にしたら曲になった。ハレってユニットで発表した。日々は「楽しかった」と呼ぶには傷つけすぎて、「苦しかった」と呼ぶには助けられすぎた。得てして一言では収まりきらぬ。
 って訳でライブやりまーす。立川、限定15人。もーちょいで売り切れ。見に来てねー。よろしくー。