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無慈悲!無慈悲!

悲しいエウレカ

「三つ子の魂、100まで」的なこと

 

・なんとなく思うのだけど、1番最初に接した内容は単なる経験じゃなくて基準になるんだな。その人への評価、とか、物事への取り組み方、とか。
 自分の中で、というのもそうだけど、同様に相手に経験を残してしまうことも大きい気がする。

 

・「私の経験だとはじめてなんですけど....(だからやりたくないっす私)」みたいに言われること、あったりする。時々「うるせー黙ってやれ!」みたいなこともあったりなかったりする。双方のコミュニケーションに依るものか、自分の感情の切り取り方に依るものか、相手の仕草や言動によるべきつものか。それ以上に「私の経験を基準にすると、これを行う意味はないと思います」みたいな思考が出来上がってることの方が大きい。最近見た連続ドラマで「基準を作る」ことの大事さを説いていた。

・昔お坊さんと話した時に何の気なしに「人生での経験ってすべて繋がってるって考えると疲れませんか?」と聞いたら、「まぁ人生は全部繋がってるんですけど...」と言われた。後半は忘れた。多分坊さんもそれ以上の回答はなかった気がする。
 高校時代何の気なしにクラスメートの半ギャルに同様の質問を投げかけてみた。「えっそんなこと考えてるの? 人生そんな繋がってないよー! 」って言われた。めちゃくちゃ純粋に「こうやって生きてみたい」と心から思った。

 

・たくさんの物事を繋げると、応用が効く。けれどそれが行き過ぎると、人間性を繋げてしまう。最終的には、失敗をすると人間性を否定することになってしまう。
 加えて、人間性批判は楽。すべて人間性に繋げるのは、批判として非常に楽。

 人間性に繋げると、自尊心の低下に繋がる。意図せずしちゃう時もある。事実を事実として解釈することが、どれだけ難しいことか実感する。人を傷つけたいと思って人間性を繋げちゃうときだってある。
 ある場所で学んだ経験を、ただ単に経験から得た失敗として応用が出来る人は強いのだろうな、と思う。
 自分の人間性に繋げてしまうことは、キツいのだろうな、と思う。

 知識として覚えていたことが、経験として心に残ることがある。繋がる瞬間はなんかエウレカっていうらしい。大体は嬉しいエウレカのように思うけど、悲しいエウレカもあるよな。色んなことに気づいちゃう時、あるよな。

 

・経験は積み重ねた方がいいけど、経験は時として自分の足を掴むことがある。でも習うより慣れろってこともある。案ずるより産むが易しっていう。とりあえずやってみな、はうまく働くときと働かない時がある。
 誰かが言ってた言葉はだいたいまとめられている。「三つ子の魂百まで」みたいな言葉に。私たちはそれを「小さいころの性格は歳をとっても変わらない」から具体的な自分の生活に応用出来るまでにしないといけない。

 「あっそういうことだったのね」っていう繋がる時がある。あまり経験したくはなかったりする。