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無慈悲!無慈悲!

適切な言葉は稀に見つかる

見つかったらそこそこ嬉しい。

 

・言葉を書いている以上、自分の頭の中にある気持ち(本当だったり、虚飾だったりすること。実感はこもってるけど)を言語化している。
 元々人間の感情は形に出来ず、他者に手渡すことが出来ないものなのだから、完全に表現しきれることはありえないと思ってる。(前にも書いた気がする。例えば考えていることの2~3割を上手く表現出来たらいい方だよね。)
 それに、残りの7~8割を言語化出来たとして、それが相手を傷つけないとも、距離が近くなるとも限らなかったりする。相手との会話で傷ついちゃった時とか、相手に対して押し付けちゃいそうなエゴとかがあったりする。それを言語化しちゃったら、相手の所為にしちゃうし、自分のコミュニケーションの未熟さを思い知ったりするし、自分のことが苦手になってしまう。
 自分のことを「まぁこんな私でいいっしょ」って思うには、自分のことを苦手に思う行動をし過ぎてしまうのが人間であったりする。「あーなんであれ言っちゃったんだろう!」とか「あの時あんなことしてなければ!」とか。

 

・例えば、最近「幸せ」って言えなくなった。話がでかいからだ。言葉のテンションが大仰だからだ。そしてと暗に言ってるようだからだ。「幸せになってくださいね」とかは、「今が幸せじゃない、とでも?!」と捉えられかねない。「えーめっちゃ幸せですね!」とかは「幸せの定義なんて人それぞれじゃい!」とか捉えられかねない。
 それらは、「頑張れ」って言われると「今頑張ってないように見えた?」とか、「頑張ってる人にそう言っちゃいけないんだよ」とか、そういうのと繋がると思う。
 まぁ、相手がそう思ってくれたことに目を向けたいのだけれど、そう受け取れないことも、人らしかったりする。

 

 同時に「生きる」って言葉を使えなくなった。最近学んだことを言いたい時に「生きるというのは〜」って言葉がすぐ出てきちゃうけど、言えなくなった。「よく考えてみれば、別に生きようと思って生きてる訳じゃない...死んでないだけ...毎日タスクがあって、もしくはタスクを作って消化しているだけ...」と思ってしまう。
 「生きる」という言葉がそれなりに大仰なのだ。あと力強すぎるのだ。他に考えた所「営み」とか「生活」とかがある。でもなんか言葉が可愛いし、それ故にかっこよすぎちゃう。現段階では「日々を過ごしていると」が一番適切なのかしら、と思う。でもなんか、なんか。ね。

 

・とか考えていたら、最近知人に「快く生きてな」と言われた。「『快く』があったか!」と知人の言語センスに、高いテンションが一週間くらい下がらなかった。
 多分、最終的に知人が言いたかったこと(繋がること)は「幸せに生きろ」なんだろうけど、「えっ幸せに生きるためには何をすれば...」って思ってしまう。
 「幸せになる方法」は分からないけど、自分の機嫌をとる方法はある程度分かるから、「上機嫌でね」が選択肢にあがる。でもそれはちょっとポップすぎる。「楽しんでね」だと、「楽しいこと」だけが正義な気がしてきちゃう。選択の葛藤とか、産みの苦しみとか、それに依る達成感に依る幸せが外れてしまう。ただ、快くだと言葉が非常に適切なテンションとなる。加えて、「生きてな」がいい塩梅でポップに仕立て上げている! 見事! えー、俺が考えつきたかったー!

 

 ついでに言うと、その知人の言霊のおかげか、非常に快く生きれている。

 

・適切な言葉を選んでいきたい。相手に自分の考えてることや、自分のイメージしていることが過不足なく伝わる程度の、適切な言葉を選んでいきたい。でも見つけたら「見つけた!」って叫んじゃいそうな気がする。そういう言葉こそ、心の中にしまっておいて「ここぞ!」という時に使いたかったりする。
 最近比較的いい感じの言葉を見つけた。大切に仕舞っておこうと思う。