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無慈悲!無慈悲!

愛しいことは大体悲しい

古典もRADも多分そう言ってる。

 

・会話をしていると、「この人と距離が縮まっている気がする」とか思う時がある。同時に「この人は距離を縮めてくれている」と思う時がある。
 以前「この人と距離が縮まっている気がする」と思っていたことの大多数は、「私がこの人に対して(一方的に)距離を縮めているのだ」だと気づいた。相手からの心の距離は多分変わってないのに、自分からの距離だけが変わっていたのに気づいた。今更だなーって思う。自分と同じことを相手が背負ってくれてるなんてこと、そうそうあるはずないのにな。そう思っちゃうんだよな。

 

・考えてみれば当たり前だと思う。私が相手に心を開いているのに、相手が私に心を開いてくれないことを。同時に、それによって相手が自分と適切な距離を保つように接してくれていることを。
 でも、当たり前だと思うことと同時に、悲しいと感じてしまう。子供みたいだ。相手が距離を近づけてくれたとしても、関係がただ深まるとは限らないのにな。自分だって引いちゃうことがあるのにな。

 

・話は少し変わるが気分が良いと歌う。用事が楽しかった後の帰り道、色々と抱えてたものが一段落した時、考えなくてはいけないことが落ち着いた時。旅行先で予定外に素敵なことに出会った時。歌う。子供みたいだなと思う。こないだ普通に人が入ってた電車の中でふと歌ってしまい、一緒に乗っていた人に「歌うな」と言われた。自分のことを子供みたいだなと思った。言葉が可愛いな。自分のことをガキみたいだな、と思った。これだと乱暴だな。難しいな。実際に小学生の時とか歌ってたな。

 以前のことを思い出す時は、大体愛しくて悲しくなってしまう。ノスタルジーってやつ。多分。

 

・ノスタルジーを苦しくても感じてしまうのは、多分認めたいからだ。色々と頑張っていたこと、そして意図せずとも培ってしまった経験、そこから得た自分とか。変わらなかった部分も多い自分とか。

 捨てられたら楽なのだろうか。今よりも要領も悪く、経験も浅く、考えが浅はかで、上手く人と付き合えなくて、非常に苦しかった過去を愛しく思わなくなったら、楽なのだろうか。陳腐な表現かもしれないが「豊かだ」と言えることが出来るのであろうか。知らん。

 

・楽しいものより、悲しいものの方がが愛しくなってしまう。なんか、不健康だな、と思う。

 もっと、楽しいものに愛しいという感情を抱きたい。よね。愛楽。キラキラネームみたい。