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無慈悲!無慈悲!

一つにはまとめられない③

溜まった。


①皿がいっぱいあるフルコース料理苦手 圧迫感と食べなくちゃいけない感とスペースがない感がストレス

 

②世の中にはテクニックが溢れているけれど、テクニックでは手に入れられないものばかりあるのだな

 

③「今頑張ろうとしている対象に、自分が頑張りたいか頑張りたくないか」は正確に把握している必要がある

 

④海はどこでも同じ匂いがする

 

⑤ただ鎌倉の海は案外汚い、三保の松原は最高

 

⑥SM○CのCM、なんかやたら高級感あるし「髪の毛ないおじさん&美人のお姉さん」怖い

 

⑦笑顔はそんないいもんじゃない、怖い笑顔いっぱいある

 

⑧「万が一対策」を「漫画一大作」と聞き間違えた

 

⑨泣きながら食べたご飯の味は忘れられない。「俺の話は長い」、面白いし切ない

 

⑩相手の考えてることも自分の考えてることもわからないのが人間だなーって思う。あなたの考えてること、分からなくてごめんよ。

悲しいエウレカ

「三つ子の魂、100まで」的なこと

 

・なんとなく思うのだけど、1番最初に接した内容は単なる経験じゃなくて基準になるんだな。その人への評価、とか、物事への取り組み方、とか。
 自分の中で、というのもそうだけど、同様に相手に経験を残してしまうことも大きい気がする。

 

・「私の経験だとはじめてなんですけど....(だからやりたくないっす私)」みたいに言われること、あったりする。時々「うるせー黙ってやれ!」みたいなこともあったりなかったりする。双方のコミュニケーションに依るものか、自分の感情の切り取り方に依るものか、相手の仕草や言動によるべきつものか。それ以上に「私の経験を基準にすると、これを行う意味はないと思います」みたいな思考が出来上がってることの方が大きい。最近見た連続ドラマで「基準を作る」ことの大事さを説いていた。

・昔お坊さんと話した時に何の気なしに「人生での経験ってすべて繋がってるって考えると疲れませんか?」と聞いたら、「まぁ人生は全部繋がってるんですけど...」と言われた。後半は忘れた。多分坊さんもそれ以上の回答はなかった気がする。
 高校時代何の気なしにクラスメートの半ギャルに同様の質問を投げかけてみた。「えっそんなこと考えてるの? 人生そんな繋がってないよー! 」って言われた。めちゃくちゃ純粋に「こうやって生きてみたい」と心から思った。

 

・たくさんの物事を繋げると、応用が効く。けれどそれが行き過ぎると、人間性を繋げてしまう。最終的には、失敗をすると人間性を否定することになってしまう。
 加えて、人間性批判は楽。すべて人間性に繋げるのは、批判として非常に楽。

 人間性に繋げると、自尊心の低下に繋がる。意図せずしちゃう時もある。事実を事実として解釈することが、どれだけ難しいことか実感する。人を傷つけたいと思って人間性を繋げちゃうときだってある。
 ある場所で学んだ経験を、ただ単に経験から得た失敗として応用が出来る人は強いのだろうな、と思う。
 自分の人間性に繋げてしまうことは、キツいのだろうな、と思う。

 知識として覚えていたことが、経験として心に残ることがある。繋がる瞬間はなんかエウレカっていうらしい。大体は嬉しいエウレカのように思うけど、悲しいエウレカもあるよな。色んなことに気づいちゃう時、あるよな。

 

・経験は積み重ねた方がいいけど、経験は時として自分の足を掴むことがある。でも習うより慣れろってこともある。案ずるより産むが易しっていう。とりあえずやってみな、はうまく働くときと働かない時がある。
 誰かが言ってた言葉はだいたいまとめられている。「三つ子の魂百まで」みたいな言葉に。私たちはそれを「小さいころの性格は歳をとっても変わらない」から具体的な自分の生活に応用出来るまでにしないといけない。

 「あっそういうことだったのね」っていう繋がる時がある。あまり経験したくはなかったりする。

その話聞いてないぜ

「聞いてない! 聞いてないよ!」ってなるよね。

 

・誰かに質問をしていて「あれ...これ私の投げかけた質問と違う...?」という時がある。あるよね。ない?
 加えて、自分もそういうことをしてしまったりする時、あるよね。ない?

 例えば、人が投げた言葉の裏を考えてしまう人、もしくは、「自分の行動を言い訳したい&こう見られたい」という欲望が強い人は、相手に投げかけられた質問から曲解し、「自分を傷つける為に相手はこの質問をしたんだ」と思ったり、過去の自分の行動を弁解しようとしたり、自分の考えている思考を相手に知ってほしいが故に質問とは違うことを答えてしまう、みたいなことがあったりする。
 加えて、そういう時は大概、「私今あなたの質問を曲解しようとしてます」って気づかない場合が多い。

 

・「聞かれたことに聞かれたことだけ返す」、同時に「相手に聞いたことだけ回答してもらうように質問する」というのがいかに難しいか、実感する時がある。
 自分の考えていることを正確に受け取って欲しい、と思うのは至極当たり前のことなのだろう。且つ、自分の考えを相手に共有出来る機会、最近考えたことを相手に話せる機会、「あっそれ最近考えてた!」って会話の最中に思うことはそうそう無い。だったらそうなっちゃうのは当然かもな、と思ったりする。
 人は見たいように見るものだし、受け取りたいように受け取るものだったりする。投げかけられた質問を、自分のフィルターに通して、自分の思考をバイパスして通した結果、相手の求めていたものとは全然別なものになったりする。それを相手が面白がってくれればいいけど、大抵の場合相手を戸惑わせてしまう場合が多い。言い方を変えれば、面倒くさいとか、会話がつながらないとか、面白くない、とかになっちゃう。きっつー。

 

・しかし、稀に「えっ?! なんであなた聞かれたことにしか答えないの?!」と思う時がある。
 思考はめちゃめちゃに面白いのに、自分の考えを相手に伝えたいという欲が無い人。
 そういうところが魅力足り得るのだろうけど。逆にいえば、思考を出し続けたらその人の面白さは枯渇してしまうのだろうけど。
 否、枯渇しきっちゃう、と思いたいだけかもしれない。

 

・誰かから投げられた質問に回答しようとして、自分の話したかったことを話してしまう時、なくしたいよねー。やられたら「あー。始まった!」って思う。せめて「それ聞いて最近考えたこと思い出したんだけど」とかいうワンクッションが欲しい。「私は今あなたの質問に対して答えませんよ」ってことを明確に記してほしい。

 

・この人会話上手いなーって思う人、大体普通の会話してる。大抵積み重ねた人生だけで面白いものだよな。
 出来事として、思考としてそこまで面白くないことを、普通に話すって、それだけで結構面白いんだな。
 って最近思った。文章を書く場所は大事だったりするな。って最近思った。

言葉はおそらく呪いたりうる

経験ある人いっぱいいるのでは

 

・最近思った言葉は「ナルシスト」とか。発言側は「自分のことを好きになる」ってプラスの意味で使っても、言われて傷つく人いるのではないでしょうか。自分のことを好きになるというのは、自分の人生を生きる上でこの上無い幸せと考えてもいいことだったりするのに。

 原因は多々考えうる。例えば昔傷つけられた言葉、とか。悪意をもってその言葉を使われて傷つけられた過去があったりすると、言われた時に現在の自分が過去の自分と重なり、体と精神は拒否反応を起こしたりする。
 他にも言葉を受け取った結果、自分のことを好きになれない部分に意識的になってしまったり。受け取った側がその言葉にどのような裏があるのかを考えてしまったり。変わったはずの過去に言われていた言葉と、同じことを現在の自分にも言われてしまうと、自分で傷ついてしまったりするよな。悲しいことだけれども。大変じゃ。

 

・呪いみたいにつきまとう言葉がたくさんあったりする。自分で考え付いたものもそうだし、他人から言われた言葉もそうだったりする。
 言葉が呪いにならない人はおそらく人として足りてる人だろうと思ったりする。ちょっと付け足すと、他人に影響されない人。

 他人に影響される人は自分の好きな人が周りにいた場合は良い。しかし自分の嫌いな人が周りにいた場合、その嫌いが自分に移っていく。結果自分のことを嫌いになる。そして、もし自分のことを嫌いになったとしても、自分がその性格になった以上、トリガーが周りの人だったとしても何も言えない。自分が悪いんじゃないって思いたかったりするのに。

 

・呪いって「まじない」って読める。まじないって読むと、なんか可愛く見えるのなぜかしら。「まじない」は「呪い」って漢字を与えられたこと、怒ったりしないのかしら。呪いという言葉を与えられてしまったが故に、それがくっついて回る。のろい。

あなた、生きるリズム早いのね

って思う人時々いる。

 

・生活していると「この人リズム早いな」とか思う時がある。
 例えば行動している時の速さとか、遅さ、とか。会話の時の速さとか。(ふとした時に手がめちゃめちゃ早く動く人は、また別枠。「えっその加速値何?!」って思ったりする。)


 人の生活するリズムは流動的だとは思うけれども、テンポが速くなりやすい人はいる。そういう人を見ていると、意図的に遅くした方がいいのでは、と思う場合もある。
 思考回路のテンポは遅いけど、行動のテンポは速い人もいる。あれはどういう現象なんだろうな。自分のパーソナリティに合ってるのかしら。
 自分のテンポを相手に合わせる人もいたりするよな。とは思う。ああいう人すごいよね。あんまり見たことないけど。

 

・生きるリズムが速い人はちょっと接してて疲れてしまう時もある。逆に自分の許容外に遅い人はイライラしてしまったりする。あと、リズムが速い人はミスをしやすい印象がある。偏見と言ってもいいかもしれない。生き急ぐのは大丈夫なのか。ビリーバーは息が長いのだろうか。あなたのパーソナリティにそのテンポはあっているのか。
 途中でゆっくりになってくれ、潰れないうちに、それか新しい道を見つけてくれ。と思ったりする。

 

・よく「人生は短い、時間がない」って言う人がいる。生き急げるパーソナリティを持った人が「人生は短い」って言えるのだろうな、と思う。生き急げないことは、良いことでも悪いことでもない。生き急げることも同様だと思う。
 生きるテンポが早い人に対して「遅い!」っていうのは酷だったりする。でも、そう言わないと、本当は生きるテンポを早く出来る人が自分の遅さに慣れてしまうこともある。

 

・「人を変えるより自分が変わる方が早い」っていうのは確かに思うけれど、同様に「人から変えられることを望んでいる人」っていうのは少なからずいると思ったりする。自分を変えるのは強いことだったりする。「人は人、自分は自分」っていうのが重要視される価値観の場合、「人に帰られたい」ってパーソナリティの人は自分で決める必要があるから生きるのが大変だったりする。

 

 リズムがいい人は、接してて踊れるよね。そういうことかしら。

分かって欲しいわけじゃないのよ

分かって欲しいわけじゃないのよ!!!!

 

・会話とは「とりあえず時間を共有すること」が目的だと、私は思うことが多い。
 世の中の大抵の人生や問題には正解はなく、「どちらの選択肢がベターか」が終着点になる。あとは「人それぞれ」も終着点になる。
 ただ、会話をすることでのメリットは各個人の主張や自分の考えなどを織り交ぜ「あなたにはこうであってほしい」と「私はこうしたい」のバランスをとれることだと思っている。自分一人だと、どうしたって視野が狭くなりがちだし。他人を求める時もあるし。

 

・ただ、会話をするというのは難しい。特に日常会話だと非常に難しさが増す。人のテンションに敏感にならなければならない。あ、前にこれ書いた気がする。割愛。

 

・日常会話の中で、何気なく投げかけためちゃめちゃ無難な話題で、想像以上に発展することがあったりする。あの時「おお、投げかけてよかった」と思う。
 でも同時に、「あーやっぱりこれくらいしか発展しないよね」と思う時がある。でも、さっきみたいな経験があるから、投げかけちゃう時がある。
 もう少し言うと、「とりあえず場を埋めるためにする話題」がある。自分も相手も話したいことが一段落して、次の話題を見つける為の1手、というか。
 そういう時に相手の会話が「あー分かるー」だけで終わってしまうと思う。わかってほしいわけじゃないのよ、あなたの話したいことを知りたいのよ。と。共感を求めているわけじゃないのよ。私はあなたの話を聞きたいのよ、と思う。上手く繋げられなかったこっちが勝手に悲しいだけなんだけどさ。

 人に期待する自分に気づいたりする。苦手な人ほど期待している時もある。難しいよね。

 「察してくれ」というのはあまりにも人に対して不親切だけど、察してもらうことを相手に求めてしまう。察してくれる人の方が楽だったりするしな。

 

・話の内容ではなく、話をした意図を分かってほしかったりする。...分かって欲しいんじゃん!

怒るも感情の内

「喜怒哀楽は同じレイヤーの感情なんだ」と、やっと分かった話。


・怒ってる人がめちゃ怖い、って話は前にしたのだけれど、最近若干考えが変わってきた。いや、まぁ怖いんだけど。

 怒ってる人が苦手だ。怖いから。面倒だから。自分が怒ってるのが好きじゃないから。感情の中でも一番接したくない部分だから。喜怒哀楽の怒りの感情はある程度抑えてきた。「怒りは分解すると悲しい」とかになってくることが多い気がしてたから。純粋な怒りはあまりないように思ってたから。でもそうじゃないんだな、怒りって普通に感情としてあるものなんだな。んで、怒りという感情のおかげで人間が成長したり、他人との距離が狭くなったりするパターンもあるのだな。(後者はレアリティ高い)
 ただ、怒りという感情が無い人間になりたかったのはある。周りを不快にさせる率が高いじゃん。多分。

 

・人と接していてどうしても傷つくのは、避けられないものだったりする。その時の選択肢としては ①傷ついたことを言う ②傷ついたことを言わない のどっちかになる。さらに①では言い方を考えたりする。オブラートに包むのか、感情をぶつけるのか。感情をぶつけられる人は「空気が悪くなることを承知で(それよりも手にしたいものがあるから)感情をぶつけてくる」のか、それとも「ただ単に感情をぶつけたいからぶつける」のか、どっちかになってくる。
 いくつになっても人に言ってしまった言葉で後悔が尽きないのは、パーソナリティにも関わってくることなのだろうか。

 

・その人が裏で考えていること、自分の知らないところで何を考えているのか、等、考えていたらキリがないことをいくらでも考えてしまったりする。考えていてもどうしようもないのにな。面倒に思う時もあったりする。でもそれで今まで過ごしてきたから、そのパーソナリティを変えるのには一苦労したり、変えられずに「あーまた考えてるわ」って思ったりする。こういうコメント、多分ありがちだけど、大変だよねー。

 「怒った時こそ人が分かる」っていうけど、結構その通りだったりする。怒るって感情を分解していくと、自分のことに気づくことは往々にしてあったりする。怒りという感情とは上手く付き合っていきたいよね。

 でも、怒るのって大変だよねー。後処理が面倒だよねー。怒る人すごいなー。