分かって欲しいわけじゃないのよ
分かって欲しいわけじゃないのよ!!!!
・会話とは「とりあえず時間を共有すること」が目的だと、私は思うことが多い。
世の中の大抵の人生や問題には正解はなく、「どちらの選択肢がベターか」が終着点になる。あとは「人それぞれ」も終着点になる。
ただ、会話をすることでのメリットは各個人の主張や自分の考えなどを織り交ぜ「あなたにはこうであってほしい」と「私はこうしたい」のバランスをとれることだと思っている。自分一人だと、どうしたって視野が狭くなりがちだし。他人を求める時もあるし。
・ただ、会話をするというのは難しい。特に日常会話だと非常に難しさが増す。人のテンションに敏感にならなければならない。あ、前にこれ書いた気がする。割愛。
・日常会話の中で、何気なく投げかけためちゃめちゃ無難な話題で、想像以上に発展することがあったりする。あの時「おお、投げかけてよかった」と思う。
でも同時に、「あーやっぱりこれくらいしか発展しないよね」と思う時がある。でも、さっきみたいな経験があるから、投げかけちゃう時がある。
もう少し言うと、「とりあえず場を埋めるためにする話題」がある。自分も相手も話したいことが一段落して、次の話題を見つける為の1手、というか。
そういう時に相手の会話が「あー分かるー」だけで終わってしまうと思う。わかってほしいわけじゃないのよ、あなたの話したいことを知りたいのよ。と。共感を求めているわけじゃないのよ。私はあなたの話を聞きたいのよ、と思う。上手く繋げられなかったこっちが勝手に悲しいだけなんだけどさ。
人に期待する自分に気づいたりする。苦手な人ほど期待している時もある。難しいよね。
「察してくれ」というのはあまりにも人に対して不親切だけど、察してもらうことを相手に求めてしまう。察してくれる人の方が楽だったりするしな。
・話の内容ではなく、話をした意図を分かってほしかったりする。...分かって欲しいんじゃん!