please_hitme

「ピンと来てくれ」の意です

認めはしても好まない

好みでなくとも認めたい。


・「私の好きじゃないファッションを着ていようと、私にそれを否定する権利はない」的なことをビリーアイリッシュが言っていた。(正確な発言はどこで見たか忘れたので割愛)
 その通りなんだけど、それをするには「自分が好きなのだから良い」という評価が必要だったりする。アイリッシュの大ファンがアイリッシュに好かれようとして着ていたら「(好きじゃないけど)いいんじゃない?」と言われるってこと。一発アウト。見方によっては「相手が自分の感情を出してくれない」といった点では「そのファッションどうなの?」と言われる以上にキツい。キツくない?
 ゆえに、他人の評価を気にする人、及び他人の評価をする人にとってはどんどん生きにくくなったりする。

 確かに、相手の発言が本当なのかも分からない、って考えると、自分の感覚には正直にいた方がいいな、と思う。人のことばっかり考えてると、自分の感覚が分からなくなったりするし、人の話ばっか聞いてると、自分の話ができなくなったりする。同時に、自分の考えてることが分からなくなったりする。「他人の望む自分になろうとした結果、自分がどんな人間になりたいか分からなくなる」とかそういう状態。

 これからは、「人のことを受け入れ、且つ自分の価値観を作り上げる」ということが大事になってくるのだろうけれど、SNSで他人の話がめちゃめちゃ流れてくるこの時代にそれが出来るのかい。難しくない?


・なんか色んな価値観を尊重する世の中になってきたな、と思う。そのためには、相手の価値観を拒まないこと、受容する必要がある。自分の好みや考え方と違ったとしても「そういうのもあるよね」と考えなければいけない。

 ただ(偏見を混ぜて発言するが)、相手が価値観を人に伝える時って「そういうのもあるよね」というより、「うわー!! すっげー分かる!! その気持ち分かるのって運命ー!!」くらいのテンションだったりする。アイリッシュが「うわ! そのファッションめっちゃいいやん!」って言ってくれる、とか。運命が欲しかったりする。
 自分の価値観や言動が、相手にピッタリハマることなんて、そうそうある訳ないのにな。

 加えて言うのなら、コミュニケーションの齟齬は双方の問題であったりする。自分も相手も未熟なパターンも多かったりする。


・多様性があるなら、本当に人とぶつかりあえることは少なるなるのではないか。「私はあなたのそこ苦手だけど、あなたはいいと思ってるのよね? どうこう口出しは出来ない...」など。
 他人から自分の考えや価値観を否定されることは、自身が思慮深くなることに重要な要素だったりする。どれくらい否定されるか、は要思考だけど。
 価値観が多様化して、相手が自分のことを認めてくれるようになると「自身がなりたい人間には、自身で気づくしかない」となってしまうような気がする。

 あと、相手の直した方がいいところを指摘するときに「いやそれ直したほうがいいよ」「悪くはないけど、もしかしたらこう思う人がいるかもしれない。だからこうした方がよりベター」みたいな言い方をする人、めっちゃ凄くない? 感情のコントロールが出来るっていうか、「自分の感情より、相手にどう言ったら分かってもらえるか、を優先出来るんだなぁ」とか思う。めっちゃスマート。それが真に他人の価値観を認める、ということか。

 余談だけど、傷つけられたい時だってあるよな。ぶつかり合った人ほど、罪悪感か、はたまた敵として認識した故の恋か、好きになってしまったりするし。なんかメンタル的に不健康だけど。


・自分のことは、認めた上で、好ましいと思っていたら楽だろうし、、他人にもそういった好ましい人、言い換えれば「合う人」がいたら嬉しい。
 あと、スマートに相手に自分の考えを伝えられる人はすごい。