気持ちを終わらせる

ちゃんと気持ちを終わらせることが、変な感じに大人になると出来なくなる気がしている。

 

・一番手っ取り早い例でいくと、失恋。

 なんか色んな人間がいるんだなーって思うと「あーそうよねー、ここらへんお互い合ってなかったよねー」とか、「感情も変わるよねー人間だしー」って考えたりする。結果、なんとなーく喪失感を覚えて、なんとなーく時間が経つ。
 「なんで私じゃダメなの?!」「私の悪いところ言ってよ! 治すから!」「あんたみたいなやつ、こっちから願い下げよ!」みたいなことを言わないと、ずっと引きずったりする。あと、その直後じゃないと相手も戸惑うし、言いにくくなる。まぁそれも人間らしいんだけどさ。

 


・ちゃんと気持ちを終わらせるにはストレス解消が必要だったりする。
 例えば、人目もはばからず泣くこと、とか。感情を誰かにぶつける、とか。酒を飲む、とかも人によっては入ってくるかもしれない。
 でも、相手の気持ちが分かる状態になってくると「あーわかるわかる、うんうん。人だもんねー。そうなるよねー。」ってなってくる。あと大人になると責任がつきまとう。「明日二日酔いは厳しい....」とかなったりする。
 相手の気持ちを察することが出来ても、自分がストレスを感じた事実は消えなかったりする。
 理解や尊重は、自分の気持ちを減らすことにはならなかったりする。

 なので、ちゃんとストレスはストレスとして噛みしめることが必要だったりする。それを出す必要があるなら、出さなくては自分がキツくなってしまう。出し方は考える必要があるけど。

 

・きちんと感情と向き合って、それをちゃんと消化出来るのが、ちゃんと成長出来た大人なのだろうな、と思う。
 自分の気持ちを終わらせられる程、精度の高い大人とはどんな感じなのだろうか。
 他の人の気持ちになったり、他の人の心を感じてみたかったりする。
 同じことを体感したときに、どんな感情の揺らぎ方をするのだろうか。
 


・一時期は落ち込んだり、みっともない真似をしたとしても、ちゃんと終わらせないといけないのだ。
 そうしないと、ずーーっと引きずるのだ。なんとなーーく、ずーーーっと引きずるのだ。
 考えは「閉ざすのではなく、出し方を考えないといけない」ということにやっと気づき始めた。
 


・ってことを、最近異国日記の最新刊を読んで思ったりした。
 中学3年生の女の子が、両親を亡くして母親の妹と一緒に暮らす話。
 子供が自分の気持ちにケリをつけていくのと同時に、子供を受け入れながら見守りながら変わっていく大人の話。

 ちゃんと気持ちを終わらせること、喪失に向き合うことが、どれだけ大変なことか。最初は周りにも迷惑をかけることか。
 最新刊、すごかったよね。カタルシスッッ!

違国日記 5 (フィールコミックス FCswing)

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以前からの知人に会いたくない

会いたくない気持ちもあるって話。

 

・ここ最近少し前に関係があった知人と接する機会が多かった。連絡を取り、ご飯を食べ、遊んだりした。あと会話をした。
 本当に嬉しいし、楽しいのだけれど、同時に悲しくなったりもするし、切なくなったりもする。

 

・以前からの知人に接すると、過去の自分が顔を出す時がある。過去にしていた接し方が出てきてしまうというか。過去と同じ精神状態になって、行動が幼くなったりするというか。

 すると、嫌いな言動だったり、苦手な言動が出てくる。自分が悔やんでも悔やみきれない程後悔している過去を思い出す。(それでも尚、厚かましくも生活せねばいけない。もう私の命は私だけのものではない。)

 自分の過去がひょっこりと出てくるときもあれば、でろんと出てくるときもある。

 でもそれ以上に、接した後に「あっ、接してた時に過去の自分出てたな」って思う時が大半だったりする。大抵「あーーーー私いいように変わったのになーーーーそれ見せられなかったなーーーーー」って後悔をしたりする。

 

・当たり前だけど、以前からの知人は、自分の過去を知っている。嫌いだった自分、苦手だった自分を知っている。
 以前に比べてなんとなく自己肯定感は増えたし、余裕も出るようになった。「昔の自分はこういうところがあって、生き辛かったのだな」とか思ったりするようになった。(今でも尚、苦手な自分は出てくるのだけれど。)
 でも、私が変わったことが、相手にとっていいことかどうかは分からなかったりする。相手はこういう自分を見てくれていたのだろうな、この自分に対して「この人とだったら知人になってもいいな」と思ってくれていたのだろうな、ということが分かる。 

 そして「私はあの時こんな風に思ってたんだ」「昔は気を遣わせてたんだな」と思う時が出てくる。「実はあの時こうだった」みたいな裏話を聞けたり、「実はあの時こうだったのかな」と感じたりする。
 同時に相手も変わっていることに気づく。

 好きだったところが変わっていることもあれば、嫌いだったところが変わっていることもある。嫌いだったところが変わらず、好きだったところが変わっていることもある。

 以前は好きだったけれど、自分が変わった結果好きではなくなることもある。

 人との関係は変わっていく。それを感じるのが切ないのだ。一期一会ってやつか。その時のその人とは、もう関われないのだな。

 結果的に、一度会って疎遠になりそうな人もいる。なった人もいた。
 そうやって人間関係はどんどんと狭くなっていくのだろうか。「最近どうなの?」くらいの会話ができていればよかったはずなのにな。

 

・でも、過去に接すると、自分も相手も変化したことが分かる。過去から比べた自分の立ち位置の確認が出来たりする。同時に相手の近況が確認出来ると、安心する。

 難しいよねー。会いたいし、会いたくない。ジレンマ。矛盾。感情は一つにならない。

 

 

●ここのプーアールメープルチーズティーめっちゃ美味かった、ホットのやつね!

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父がガンで手術した話

備忘録として書いておいたのが残ってた。

※日付は当時の日付。

だから確か、今から半年くらい前。

 

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・ある日父からラインが来た。「週末の夕方に家族で集合したいが、予定は空いているか」とのことだった。急だよな。

 その日は空いている時間がなく「きびい」と返した。そうすると「ちょっとでも会えないかな?」ということだった。「めんどくさっ」と思った。
 幸い空いている時間が30分程度とれたこともあり、父と兄と会うことになった。

 

 父はいつも割と話が急なので、別に「あーちょうど東京に来る予定があったんだなー競馬かなー」くらいの印象であったが、実際に会ってその予想は結構覆されることとなる。

 

・実際に会った日のこと。お茶が出来る店に入り一段落したところで、兄と私に向けて、父が今までにない不安そうな面持ちをしながら携帯を見せてきた。体内の画像のようだった。そこで父が「これが大腸の画像。ガンのファーストステージになった。」という話をした。曰く、そのことを直接話したくて私達兄弟にコンタクトを取ったらしい。

 

 私には父がどのような心境なのか、慮ることや想像することしか出来ない。しかし私個人としては、父がめちゃめちゃに不安そうだったのが、なんかめちゃめちゃ面白く見えた。だって、身内がめちゃめちゃ不安そうなの、なんか面白くありません? あと、私は父の生存ルートしか想像してないこともあった。

 

 知人に話すと「えっ、もっと深刻な話じゃないの?」ということだった。若干「てめぇ不謹慎だろその感情抱くの」って言われてる雰囲気があった。確かに、父以外がガンだったら私超不安で心配しそうだ。知人や友人、恋人や妻がガンなんて言われたら、私はきっと悲しくて泣いてしまうかもしれない。知らんけど。


・それが二週間くらい前の話。そして本日、親父が手術をした。普通に終わった。しかし「手術は終わったけれど、今回摘出した大腸を検査をしてみて、はじめてガンがどこまで侵食してるかが分かる」らしい。その言葉を聞いて、やっと父がどういう状況だったか、というのがなんとなくわかった気がした。「死ぬ可能性、あるんだな」と思った。また、手術をした人がミスをすれば親父は死ぬ可能性もあったのだな、と漠然と思った。私は仕事でちょくちょくミスをする。医者はすごいものを背負ってるのだな、と思った。知らんけど。


・入院着の親父とか、病院食臭い館内とか、結構新鮮だった。病院は独特の感じがある。「人が毎日ここで死んでるんだな」って思う。病院以外でも死んでるだろうけど。

 病人としての親父を世話してくれたナースの人がいた。世話が必要な父にも、無知な私にもめちゃめちゃ優しかった。ずっと人の死に目にあってるだろうに。私の知人でナースなった子がいるなー。あの人は大変なのかしら。

 人は何かしらを背負って生きているのだろうな、と思う。業とか、過去とか、自分の体とか、歳とか。或いは自分とか。はたまた、息子とか。

 好きに生きてくれマイファザー。
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・そして現在は、父超元気。毎週馬を見にいろんな競馬場行ってるっぽい。

 父の手術後、一緒に馬を見に行った。

 私は負けた。父も負けた。兄は勝ってた。腹立たしい。

 腹立たしい感情は楽しい。

 

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同期がストレスチェックで引っ掛かったらしい

そこから考えたこと

 

・私の属している会社は一年に一回ストレスチェックをやっている。
 (アンケート形式で、メールから指定のページに飛んで回答する、みたいなやつ。)
 そのストレスチェックで、同期が引っ掛かったことを聞いた。
 大体レッドゾーンで、一個突出してる、みたいな感じだと言っていた。
 (私は問題無しだった)
 同期に対しては以前ちょっとだけ書いた。あんま上手く言語化できてない。

 

pleasehitme.hatenablog.jp

 


・同期の職種は営業である。あと声がいい。
 
 人への気遣いが出来、相手を傷つけないように発言が出来る。
 他の人からの不躾な発言には、きちんと傷つくが、それを表には出さないように出来る。
 相槌も上手く、言葉をちゃんと受け取り、人が聞いてほしいことを引き出してくれる。
 相手にターゲットを絞って話すのが、息をするように出来る人だな、と思った。
 
 出す単語が「人から言葉を借りず、自分からちゃんと出ているのだろうな」という言葉を使う。
 それもあり「この人は私に気を使ってない」と思わせる言動の精度が非常に高い。
 (一年半接した上で「この人は今気を使っているのだろうか...」と考えられてきた。)

 加えて、「相手からこう見られたい」という欲を感じない。自意識からの発言より、相手のことを考えた上での発言が多いイメージがある。「私はあなたとの会話の中で頭使ってる」という発言が全然出てこない。「私は自然体ですよ」とふるまえる人である。
 
 聞き上手で、喋り上手である。非常にユニークな人である。
 それもあり、同期は、皆から好まれる人だと思っている。

 しかし、それだけの人間関係構築術は、ストレスという代償があったのだな。

 

・以前から兆候はあったように思うので、ストレスチェックでひっかかったことは、驚かなかった。むしろ「だよなー」と思った。
 あの精度の魅力的なパーソナリティならば、何らかの代償を支払っているというのは不思議ではなかった。
 ただ、ストレスという代償はあまりにも悲しい。適切な代償も思い浮かばないけど。
 
 
・同期がストレスに感じる行動で、助けられている人がいる。
 誰かがストレスに思わないように、誰かがストレスを引き受けてたりする。
 私も誰かにストレスを背負わせている立場になっている。

 

・同期はいい感じになってほしい。
 ストレスは感じない方が楽ではある。
 でも、矛盾(ストレス)を背負っている方が、人間らしくなる。

 結果、魅力になることもある。
 難しいよねー。

栃木に行った

「あー東照宮行こー」って思って栃木行ってきた。

 

 

 

以下写真。

 

 

12時ジャストに撮れたのか

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苔が多いと管理されていないのかなって思っちゃう

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確かその管理されてない苔を撮った

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苔を撮ったら虫もいた

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多い

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ここだけ紅葉が多かったが、他は想像より少なかった

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人が渡れない橋(時間によるらしい)

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以上。

一つにはまとめられない③

溜まった。


①皿がいっぱいあるフルコース料理苦手 圧迫感と食べなくちゃいけない感とスペースがない感がストレス

 

②世の中にはテクニックが溢れているけれど、テクニックでは手に入れられないものばかりあるのだな

 

③「今頑張ろうとしている対象に、自分が頑張りたいか頑張りたくないか」は正確に把握している必要がある

 

④海はどこでも同じ匂いがする

 

⑤ただ鎌倉の海は案外汚い、三保の松原は最高

 

⑥SM○CのCM、なんかやたら高級感あるし「髪の毛ないおじさん&美人のお姉さん」怖い

 

⑦笑顔はそんないいもんじゃない、怖い笑顔いっぱいある

 

⑧「万が一対策」を「漫画一大作」と聞き間違えた

 

⑨泣きながら食べたご飯の味は忘れられない。「俺の話は長い」、面白いし切ない

 

⑩相手の考えてることも自分の考えてることもわからないのが人間だなーって思う。あなたの考えてること、分からなくてごめんよ。

悲しいエウレカ

「三つ子の魂、100まで」的なこと

 

・なんとなく思うのだけど、1番最初に接した内容は単なる経験じゃなくて基準になるんだな。その人への評価、とか、物事への取り組み方、とか。
 自分の中で、というのもそうだけど、同様に相手に経験を残してしまうことも大きい気がする。

 

・「私の経験だとはじめてなんですけど....(だからやりたくないっす私)」みたいに言われること、あったりする。時々「うるせー黙ってやれ!」みたいなこともあったりなかったりする。双方のコミュニケーションに依るものか、自分の感情の切り取り方に依るものか、相手の仕草や言動によるべきつものか。それ以上に「私の経験を基準にすると、これを行う意味はないと思います」みたいな思考が出来上がってることの方が大きい。最近見た連続ドラマで「基準を作る」ことの大事さを説いていた。

・昔お坊さんと話した時に何の気なしに「人生での経験ってすべて繋がってるって考えると疲れませんか?」と聞いたら、「まぁ人生は全部繋がってるんですけど...」と言われた。後半は忘れた。多分坊さんもそれ以上の回答はなかった気がする。
 高校時代何の気なしにクラスメートの半ギャルに同様の質問を投げかけてみた。「えっそんなこと考えてるの? 人生そんな繋がってないよー! 」って言われた。めちゃくちゃ純粋に「こうやって生きてみたい」と心から思った。

 

・たくさんの物事を繋げると、応用が効く。けれどそれが行き過ぎると、人間性を繋げてしまう。最終的には、失敗をすると人間性を否定することになってしまう。
 加えて、人間性批判は楽。すべて人間性に繋げるのは、批判として非常に楽。

 人間性に繋げると、自尊心の低下に繋がる。意図せずしちゃう時もある。事実を事実として解釈することが、どれだけ難しいことか実感する。人を傷つけたいと思って人間性を繋げちゃうときだってある。
 ある場所で学んだ経験を、ただ単に経験から得た失敗として応用が出来る人は強いのだろうな、と思う。
 自分の人間性に繋げてしまうことは、キツいのだろうな、と思う。

 知識として覚えていたことが、経験として心に残ることがある。繋がる瞬間はなんかエウレカっていうらしい。大体は嬉しいエウレカのように思うけど、悲しいエウレカもあるよな。色んなことに気づいちゃう時、あるよな。

 

・経験は積み重ねた方がいいけど、経験は時として自分の足を掴むことがある。でも習うより慣れろってこともある。案ずるより産むが易しっていう。とりあえずやってみな、はうまく働くときと働かない時がある。
 誰かが言ってた言葉はだいたいまとめられている。「三つ子の魂百まで」みたいな言葉に。私たちはそれを「小さいころの性格は歳をとっても変わらない」から具体的な自分の生活に応用出来るまでにしないといけない。

 「あっそういうことだったのね」っていう繋がる時がある。あまり経験したくはなかったりする。